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(No5)京王御陵線跡 [昭和時代1]

1966年(昭和41年)3月に京王線の御陵線跡を見に行った時の写真がありました。40年前ですが自転車で行った事は覚えています。しかしどの様な行動したのかまったく記憶がありません。フイルムを順番に追って当時の地図と現在の地図を参考にして、その写真の場所を確認しようと思い2006年8月に出かけました。古い写真は現在の北野、京王片倉、そして山田からは右方向に曲がり中央本線をまたぐところでフイルムが無くなっていました。写真は北野~京王片倉間、山田~中央本線間で大まかな場所です。

30年前の北野駅。ホ-ムは片式と島式で島式の1本(右側)は行止まりとなっています。
 

 

                    北野駅より八王子方向です。 ここから先は単線となって右にカ-ブして京王八王子へ向かいます。御陵線跡は左建物職員詰所?の先辺りから左にカ-ブして築堤となって丘陵地帯へと入っていきます。 


現在の北野駅。駅舎はもう少し先ですね。立派になりましたね。
                     

                     築堤が御陵線跡で右側に小さく見える鉄橋の下を横浜線がくぐり、右のくぼ地は湯殿川と思われます。
右が北野駅方面です。

                             高層マンション、住宅そして湯殿川も整備されました。架線柱が見えるのが京王線。築堤はコンクリ-トの高架線になりました。写真に横浜線の電車が走っています。

                   片倉付近。八王子の丘陵地帯に入ってきます。手前側が現在京王片倉駅方面

                        上写真と場所が違いますが、現在の片倉付近 後方方面が京王片倉駅。                                             

                  片倉辺りの御陵線跡。後方に国道16号と思われる鉄橋が見えています。


国道16号です 雰囲気的には、極端に変わっていないようですね。
現在は鉄橋を渡った左側に京王片倉駅があります。


近くに道がよく分からなかったのでしょうね。写真が片倉からいきなり山田付近にとんでいました。しかし民家が殆ど無いですね。
 
                         今は山田駅があります。同じ陸橋からの撮影です。金網が写ってうっとうしいですね。

同陸橋よりめじろ台方面。 この先から御陵線は右方向へと行きます。路線跡には雑草がすごく、これでは歩いていけませんね。




現在の山田駅

ここ山田から御陵線跡を追って小道を進んだと思います。この辺りは切り通しから築堤となっていて、左側が山田方面と思います。

上写真の築堤に上がったのでしよう。まだ架線柱と古枕木が残っていて感動しましたね。現在のどの辺か分かりませんでした。

丘陵地帯も終わり中央本線に近くになるとすでに御陵線跡を利用した道路工事が行なっていて御陵線の跡が不明でしたが、それらしき物が右側に枕木の柵が残っています。しかしこの悪路を自転車で下ったのですね。
                     現在はこんな感じに立派市街地となっています。

最後がこの中央本線を跨いでいる写真です。鉄橋と築堤が残っていたんですね。偶然にEF13が牽引する客列車が通過したのでしょう、3月なので暖房車が付いており煙を吐いています。



                     現在はご覧のとおりなにもありません。御陵線跡が道路となって中央本線をくぐっています。

40年でこんなに変わるとは、当時少年時代の私には思っても見なかったんでしょうね。改めて現地を訪れて懐かしさがこみ上げてきました。
写真と当時の地図などで比べながら載せていますが、何せ昔の事で記憶も無く間違いがあると思いますのでご了承下さい。
長々とお付き合いありがとうございました。                  

  


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