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大井町線(併用軌道の二子橋) [昭和時代1]

今日は大井町線、道路併用軌道の二子橋で撮影した画像で、時代は昭和39年7月と昭和40年4月と8月に訪れています。
私が世田谷の砧に住んでいた時は、まだ二子玉川園駅に玉川電気鉄道の玉川線、砧線との接続駅でした。
大井町線の二子玉川園~二子新地前間は二子橋を道路併用軌道で、しかも単線区間でしたが、41年3月には複線の専用橋と新しい二子玉川園駅と二子新地前駅が完成して、電車が道路併用軌道で走る姿を見ることも無くなりました。

                 二子橋道路併用軌道の全貌。彼方が二子玉川園方面です。脱線でもしたのでしょうか道路に2本のキズが跡が‥‥。

                 その二子玉川園駅です。玉電と大井町線が隣り合わせです。砧線もここから出ていましたね。

                          二子玉川園駅構内の上野毛側にヤ-ドが有った様な気がします。ステンレスカ-の6000系(愛称が「湯たんぽ」と言ってたみたいです)が待機していました。

                  二子玉川園駅を出て併用軌道の国道246号線二子橋を渡ります。クハ3662形

                           車と団子状になって二子橋を渡るデハ3500形。右奥が二子玉川園側です。

                     二子新地前に向かうクハ3863形。 屋根の修理跡が痛々しいですね。 

                クハ3864形が二子玉川園に向かって行きます。
国道246号線はここで右にカ-ブして線路を跨ぎますが、踏切りの警報機は遮断機も無く、二子新地前方面に入る所にぽつんと立って電車を来るのを知らせていました。まっ、当時はこれでも良かったのでしょうね。
左の車はトヨタのクラウンですね。この頃の乗用車のタイヤは殆どバイアスのホワイトタイヤでまだラジアルタイヤが珍しかったですね。

                  電車を追いかける様に、バスが軌道内に入っています。 オ-ト三輪も懐かしいですね。徐行運転していますので、電車の後ろは車が連なっていたのかなぁー。
歩行レ-ンも無いので渡るのに怖かったか知れません。

二子玉川園から上野毛間も撮ってありましたが、たったの2場面で6カット。今となっては悔やまれます。

                            林に囲まれた切り通しのSカ-ブ区間を過ぎると二子玉川園に着きます。当時はこんな場所で撮れたんですね。
確かこの下には小川が流れていた記憶がありますが。今でもあるのでしょうか。

    
切り通しの中を登って来たデハ3474形。ここを登りきると上野毛ですね。この辺りは今でもあまり変わっていない様な気がしますが。どうなってんでしょうね。

昭和40年の3月と8月に訪れた時には、既に鉄道専用橋の工事を開始していました。
                              複線用の立派な橋げたが順次作られていました。(8月)

                                二子新地前側も線路工事をしていました。(3月 国道246号から)

    
田園都市線も41年4月に向けて着々と工事進めていました。右側が溝の口方面です(40年8月国道246号から)。車も少ないですね。現在の宮崎台付近だったと思います。

これ以降は二子橋には行っていませんが、現在の駅は高架駅となってすごく立派になり、この33年の間の変貌ぶりには驚きを感じています。

では これで

 

   

 


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3号線海側どうぞ

脱線でもしたのでしょうか道路に2本のキズが跡が‥‥。

あぐい様ではお世話になっております。
貴サイトにあった冒頭の一行!まさしく脱線です。私が小学校4年生の時、近所だったので現場を見に行きました。
3450形が橋の欄干に寄りかかって停まっていました。車内にはぶつかったダンプカーの土砂が散らばっていました。

昭和39年のことで、3450形のうち標準車体に更新されたクルマがそれです。

by 3号線海側どうぞ (2009-01-15 21:40) 

伊豆之国

だいぶ前に一度コメントを書いた記憶があるかもしれませんが…。

その昔、駒澤界隈に住んでおり、幼年時代にはよく二子玉川園に通っていたので、本当に懐かしくて涙が出そうです…。
二子橋の真ん中の単線を、図体の大きい大井町線の電車がのろのろと通って行く光景は、幼い目にも不思議だったのでした。中でも6000系の姿は今も深い印象を残しています。…でも、私はこの併用軌道時代の二子橋を通る大井町線にはついに乗ることがなかったのでした。向ヶ丘遊園に行ったときに、当時、渋谷から出ていた向ヶ丘遊園行きのバスが二子橋を渡り、端の南側の袂で右折して行くので、何度か見たことはあるのですが…。今はなき富士観会館も懐かしいです。駒澤にいたころ、夜になると屋上のサーチライトがよく見えたものです。
時は移り、田園都市線沿線の住民となって30余年。今では通勤電車の車窓から、電車が通らなくなっただけで昔の道幅のままの二子橋を眺める日々が続いています。鉄橋の上からは富士山が綺麗に見えたのですが、対岸の川崎市側にも高層マンションが増え、富士山の見える範囲がだいぶ狭まってきているのには一抹の寂しさを覚えます。二子玉川から上野毛へカーブして行くところでは、遊園地跡に高層ビルが林立して、もはや富士山の姿を見ることができなくなったようです…。


by 伊豆之国 (2015-04-22 22:56) 

風旅記

こんにちは。
今の(新玉川線の名前さえなくなってしまった)田園都市線の光景からは想像もつかない情景です。大変興味深くお写真を拝見させて頂きました。
この橋を車で渡ったことはあるのですが、まさかここに電車が走っていたとは驚きです。
そして、生まれが近いこともあり世田谷線には馴染み深いのですが、二子玉川園駅の構造はこうなっていたのですね。大井町線と玉電が並んであったとは、これも初めて拝見しました。
振り返れば、東急はそこまで長距離の路線を持っている訳ではないのに、列車の運転の系統の変化が多いように感じます。その端緒が、こちらの大井町線と新玉川線、田園都市線でしょうか。
街の変化も含めまして、実に興味深いです。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
by 風旅記 (2019-04-21 17:49) 

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