(No64)中部・関西旅行その4(直江津機関区) [関西旅行1(昭和時代)]
今日は久しぶりに2月16日のブログの中部・関西旅行その3「豊野~車窓~直江津②」の続きです。
時は昭和40年12月20日です。
直江津で特急「白鳥」を撮り、その足で直江津機関区へ訪れました。
庫に休憩しているC57132とD5171が点検を受けていました。
直江津機関区には昭和39年4月にはD51,D50,C57,C12,9600を保有して計37両程でしたが昭和40年12月では8両あったD50が既に1台を残し全て一休車状態でした。D50がメインでしたので当てが外れてガッカリしました。
大きな扇形機関庫(画像が小さくてスイマセン)とその対面にも対照的に小さな扇形機関庫がありました。
D50は次の訪問する糸魚川機関区に期待をかけて、ここの見学を終えました。時間が無くてわずか30分程度の訪問だったと思います。
糸魚川に向かう列車の車窓から信越本線に別れを告げました。線路脇には架線柱が置いてあります。電化の準備が始まっていたのですね。彼方に妙高山が見えてます。
直江津14時40分発に乗車して糸魚川には15時59分に着きます。
直江津~谷浜間に新線が出来きたので、郷津と言う駅が無くなったんですね。その駅名が偶然にも車窓から撮っていました。きっと厳冬の日本海に面した駅だったのが印象的で思わず撮ったのでしょう。
糸魚川に行く途中とある駅で貨物列車と列車交換。何処の駅でしょうね。
小雨降る糸魚川に着きました。もう薄暗いです。
次回は引き続き糸魚川機関区の画像をアップしたいと思います。
では これで。
時は昭和40年12月20日です。
直江津で特急「白鳥」を撮り、その足で直江津機関区へ訪れました。
庫に休憩しているC57132とD5171が点検を受けていました。
直江津機関区には昭和39年4月にはD51,D50,C57,C12,9600を保有して計37両程でしたが昭和40年12月では8両あったD50が既に1台を残し全て一休車状態でした。D50がメインでしたので当てが外れてガッカリしました。
大きな扇形機関庫(画像が小さくてスイマセン)とその対面にも対照的に小さな扇形機関庫がありました。
D50は次の訪問する糸魚川機関区に期待をかけて、ここの見学を終えました。時間が無くてわずか30分程度の訪問だったと思います。
糸魚川に向かう列車の車窓から信越本線に別れを告げました。線路脇には架線柱が置いてあります。電化の準備が始まっていたのですね。彼方に妙高山が見えてます。
直江津14時40分発に乗車して糸魚川には15時59分に着きます。
直江津~谷浜間に新線が出来きたので、郷津と言う駅が無くなったんですね。その駅名が偶然にも車窓から撮っていました。きっと厳冬の日本海に面した駅だったのが印象的で思わず撮ったのでしょう。
糸魚川に行く途中とある駅で貨物列車と列車交換。何処の駅でしょうね。
小雨降る糸魚川に着きました。もう薄暗いです。
次回は引き続き糸魚川機関区の画像をアップしたいと思います。
では これで。
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