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(No68)東北旅行(釜石線陸中大橋その1)⑯ [東北旅行1(昭和時代)]

東北旅行(昭和時代)シリ-ズの続きで第16回目。
今日は釜石線の陸中大橋に訪れた画像で、2回に分けています。今回は、その1として陸中大橋から洞泉方面の画像です。
時は昭和40年8月16日です。

昨日は常磐線亘理~阿武隈川橋間で撮影、そして仙台に戻り東北本線で北上し盛岡に真夜中に到着しました。
当時、盛岡駅の待合室は、夜になるとカニ族と言われた旅行者が大きなリックザックを背負って何処からもなく現れ眠らない盛岡駅をねぐらとして利用していました。貧乏学生にはとても便利で重宝な駅でした。この日の我々もカニ族の仲間と同類ですね。
駅の待合室でリックに横たわり寝ていました私がふと目を覚ましました。時間を見ると真夜中の2時過ぎ、丁度下りの特急「はくつる」が到着する時間帯、友人達に声をかけたが眠いのか起きないので私一人でホ-ムに向かい特急「はくつる」を撮りに行きました。
真夜中2時30分「はくつる」が到着。既に補機DD51が待機しています。DD51のヘッドライトがC61を照らしています。停車時間5分間の出来事です。
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空が徐々に明るくなってきました。友人達に「はくつる」の話をすると「起こしてくれたらいいのに」と言われた覚えがあります。
さて、
釜石線の始発5時30分準急「はやちね1号」に乗車し花巻で東北本線と分かれて釜石線に入ります。花巻に馬ズラの細長い顔した花巻電鉄の車輌が止まっていました。
デハ21と馬ヅラのデハ4
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遠野物語に出できそうなのんびりした田園地帯ですね。宮守辺りと思います。宮守駅を出ると宮守川を渡るコンクリ-トのア-チ橋が有名ですね。
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甲子川の沢に沿って幾つかのトンネルを潜ると東北随一の高さを誇る鬼ヶ沢鉄橋を渡ります。ウトウトしていた私がその鉄橋の音で目を覚まし車窓から眼下に見える陸中大橋の駅が見えて驚きと、一瞬どうなっているのか全然分かりませんでした。半径500R程のオメガル-プのトンネルを出たときに、上空に今走ってきた線路が見えたときは感動しました。
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釜石鉄鉱石採掘の町で、積み出し駅として栄えてた時代で、まだまだ活気溢れる大橋の展望です。後方にダムみたいに見えるのは推積場です。その大きさが物語っている様です。

陸中大橋駅舎。今回は洞泉方面を探索した画像です。
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線路が山の斜面にへばりつく様に作られています。D51が牽引する貨物列車がゆっくりと登って行きました。
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駅から国道500m程歩くと鬼ヶ沢鉄橋がはるか上空に見えます。丁度気動車が上有住方面に登って行きました。
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洞泉方面からD51が引く普通客列車が登ってきました
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準急盛岡行き「そとやま」。
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更に500m歩くと釜石線は国道と甲子川を跨ぎます。ここから線路と国道との間に甲子川を挟むので線路脇の犬走りを歩いて行くことにしました。陸中大橋へ向かうD50貨物列車。
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洞泉方面に約2㌔程ここまで歩きました。この先にはトンネルでこれ以上無理と判断。陸中大橋へ向かうバック運転のD51貨物列車を撮ってこの場所から戻ることにしました。
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今回は陸中大橋から洞泉側の画像でした。次回は上有住方面の画像の予定です。
尚、陸中大橋で撮影した画像は下記の「なめくじ会鉄道写真館」のホ-ムペ-ジにも乗せていますので、そちらもご覧下さい。
http://home.a00.itscom.net/yosan/jyoki/kamaisi/kamaisi.html

では これで。





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