(No79)南海電鉄高野線(橋本) [昭和時代1]
今回は昭和38年8月に田舎へ遊びに行った時に撮影した橋本駅などで撮った写真です。
橋本には親戚がありました。当時高校生だった私には、大人の会話などついて行けず途中から抜け出して撮りに行ったと思います。
南海電鉄高野線の橋本駅構内と車輌基地。
呼び方は貨物電車デト1001でいいんでしょうかね。橋本駅構内に停まっていました。
20000系デラックスズ-ムカ-「こうや号」がきました。当時は新車でピカピカでした。
モハ1251形でしょうか、全長15mクラスの小柄な車両ですかね。ズームカー登場後も高野線の中堅車両として活躍していました。
紀見峠にて
準急のズ-ムカ-が橋本に下っていきます。保留線にはED5100が貨車1両つないで待機していました。
小学生の時代では、田舎に行く時は「つばめ」か「はと」で、大阪から難波で南海電鉄高野線の「こうや号」に乗って行きました。紀見峠越えにさしかかると両親は崖っぷちを走る事と、地下水が垂れてくる、崩れそうなトンネルが怖いとの話をしていました。そんな山深い中を電車が走っていました。。当時、難波から乗った「こうや号」はズ-ムカ-だった様な気がします。今は通勤圏内で住宅地となってしまいましたね。
では これで。
橋本には親戚がありました。当時高校生だった私には、大人の会話などついて行けず途中から抜け出して撮りに行ったと思います。
南海電鉄高野線の橋本駅構内と車輌基地。
呼び方は貨物電車デト1001でいいんでしょうかね。橋本駅構内に停まっていました。
20000系デラックスズ-ムカ-「こうや号」がきました。当時は新車でピカピカでした。
モハ1251形でしょうか、全長15mクラスの小柄な車両ですかね。ズームカー登場後も高野線の中堅車両として活躍していました。
紀見峠にて
準急のズ-ムカ-が橋本に下っていきます。保留線にはED5100が貨車1両つないで待機していました。
小学生の時代では、田舎に行く時は「つばめ」か「はと」で、大阪から難波で南海電鉄高野線の「こうや号」に乗って行きました。紀見峠越えにさしかかると両親は崖っぷちを走る事と、地下水が垂れてくる、崩れそうなトンネルが怖いとの話をしていました。そんな山深い中を電車が走っていました。。当時、難波から乗った「こうや号」はズ-ムカ-だった様な気がします。今は通勤圏内で住宅地となってしまいましたね。
では これで。
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