(No113) 小田急線(多摩川)・南武線(登戸)② [小田急1]
久しぶりに5月らしい気候となりましたね。暖かいのでのんびりと過ごしていましたら電話。
午後からカミサンのお父さん御一行様が遊びに来ました。
晩飯は久しぶりに焼肉を食べに行く事になり楽しい1日となりました。
飲んで飲んで気がついたらお皿には肉が‥‥。
さて
今回は小田急線の旧多摩川鉄橋の続きで、当時の南武線は登戸(武蔵溝口からだったかも?)
から立川方面がまだ単線で、複線の工事をしているとの情報でその状況を見に行った時の画像
です。旧多摩川鉄橋からは南武線が近いのでついでに寄ったみたいです。
--1968年6月19日--
既に架線が引かれ、まだ砂利が入っていない線路がありました。
南武線を跨いでいる道路は通称「世田谷通り」の続きの県道3号世田谷町田線です。
写真左が多摩川方向です。
立川方向からクモハ12でしょうか川崎行きが来ました。線路と架線が、かなり引かれていますね。
この辺りは、まだ藁葺き屋根の農家が存在して田畑が多く特に梨園が盛んだった様です。
後追いです。クハ16でしょうか。
複線に整地された道床。架線だけが引かれていますね。立川行きが来ました。近所の人が平然と
道路として使用していました。
この日は日曜日だったのでしょうか複線工事をしていませんね。
そして残念ながらフイルムがここで終わっていました。
当時の南武線は川崎~立川間は35分毎、川崎~武蔵溝口は15分毎の運転でした。
又、世田谷に住んでいた頃は、夜中に時々多摩川の方から蒸気機関車の汽笛を聞いた
覚えがあります。
南武線に貨物の入れ替えでC11が来ていたようです。
では これで。
午後からカミサンのお父さん御一行様が遊びに来ました。
晩飯は久しぶりに焼肉を食べに行く事になり楽しい1日となりました。
飲んで飲んで気がついたらお皿には肉が‥‥。
さて
今回は小田急線の旧多摩川鉄橋の続きで、当時の南武線は登戸(武蔵溝口からだったかも?)
から立川方面がまだ単線で、複線の工事をしているとの情報でその状況を見に行った時の画像
です。旧多摩川鉄橋からは南武線が近いのでついでに寄ったみたいです。
--1968年6月19日--
既に架線が引かれ、まだ砂利が入っていない線路がありました。
南武線を跨いでいる道路は通称「世田谷通り」の続きの県道3号世田谷町田線です。
写真左が多摩川方向です。
立川方向からクモハ12でしょうか川崎行きが来ました。線路と架線が、かなり引かれていますね。
この辺りは、まだ藁葺き屋根の農家が存在して田畑が多く特に梨園が盛んだった様です。
後追いです。クハ16でしょうか。
複線に整地された道床。架線だけが引かれていますね。立川行きが来ました。近所の人が平然と
道路として使用していました。
この日は日曜日だったのでしょうか複線工事をしていませんね。
そして残念ながらフイルムがここで終わっていました。
当時の南武線は川崎~立川間は35分毎、川崎~武蔵溝口は15分毎の運転でした。
又、世田谷に住んでいた頃は、夜中に時々多摩川の方から蒸気機関車の汽笛を聞いた
覚えがあります。
南武線に貨物の入れ替えでC11が来ていたようです。
では これで。
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