SSブログ

(No118) 御殿場線東山北~山北④ [御殿場線スナップ(昭和時代)]

前回で昭和37年9月に殿場線を初めて訪れた時のお話をしました。その話の続です。
松田から東山北まで歩きましたが東山北に到着して唖然としました。駅本屋が無く、無人駅
で、駅周辺には何も無く寂しい処でした。
当時無人駅というのは私にとっては初めてなので乗車券を購入するのがわならなくて、悩ん
だあげく再び松田に歩いて戻りました。
当時精神的にもかなり疲れた様で、とてもわびしくなった事を思い出します。
でも、良い事もありました。東山北に着いたら偶然に山北からD52が引く客列車が来ました。
これが初めてのD52のご対面でした。感激と驚き、これがきっかけで御殿場線を何回か訪
れる様になりました。

昭和37年9月東山北駅で、初めて見たD52牽引列車です。
009.jpg
松田方面の後追いです。まだまだ藁葺き屋根の農家が存在していた時代です。
011.jpg

[ペン]
---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ---

さて今回はその東山北~山北までのスナップ写真です。
東山北駅に到着。ここから山北まで歩きます。左の碑は駅開設された時の顕彰碑。
東山北は昭和31年に開設されたんですね。
104.jpg

ここから山北に向って左に大きくカ-ブします。下の国道は246号線です。
105.jpg

小田急の準急「朝霧」が山北へ向って行きました。この辺りは住宅地となってここではもう
撮れる場所がなくなりました。
106.jpg

東山北方面からD52の煙が見えます。雑草で覆いかぶった川の周辺はまだまだ農地が多
いですね。
109.jpg

朝9時前に山北行きの客車8両編成があり、この編成は山北発の国府津行き16時50分頃
の列車となります。
110.jpg

鉄マクラギの記念碑。獨国ザイセン会社1927年製だそうです。
101.jpg

24㌔ポスト辺りのマクラギは鉄マクラギを使用していました。白っぽくなっている辺りがそうですが、
今はまだあるのでしょうかね。
102.jpg

山北駅構内の全貌です。流石に元東海道本線だけあって広い構内ですね。
123.jpg

山北にあった転写台、いつまで使っていたのでしょうかね。東海道本線時代には東と西に
2機の転車台があったそうです。ところで後ろの木造の建物は何だろう?
112.jpg

積載重量計と言うのでしょうか。重量計がありました。
116.jpg

ロッド付きの構内専用機関車が元気よく働いていました。
120.jpg

山北発16時49分国府津行きがここの保留線に停まっていました。右側の小さな建物は
裏駅の改札口です。
115.jpg

その改札口に張ってあった時刻表です。
114.jpg

御殿場線を訪れるとよく雨に遇います。この日も途中から雨になり一日中雨でした。
D52が雨の中入れ替え作業をしています。ホ-ムにある水飲み場つい最近まで有った
様な気がします。
119.jpg
 
という事で山北まで来ました。

次回は山北から谷峨までのスナップ写真を予定しています。

では これで。
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

nice! 0

コメント 1

青木一郎

すばらしい写真をありがとうございます。私もよく撮影に行きました。思い出多い御殿場線ですので懐かしくなりました。その昔(昭和37年11月)ですが鉄マクラギを写しています。標識も写しましたのでアルバムを見ましたら本数は265本とありました(笑)、延長は210mで同じでした。マクラギ本体にも「THYSSEN」の文字が入っており、鉄製ですから万年ものだろうなと思いました。その後、気にはしておりましたがどうなったでしょう。
by 青木一郎 (2008-10-11 22:32) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。