(No126)御殿場線駿河小山~足柄⑧ [御殿場線スナップ(昭和時代)]
前回は何とか駿河小山まで来ました。
当時の駿河小山駅で購入した硬券です。殆んど覚えていませんが11月に2回も行ったんですね。
東京からは遠いかったんでしょう、どちらも2日間有効ですね。
今回は足柄まで行きます。
昭和39年2月 自宅を出るとき雨が降りそうな天候でしたが、そんなの関係ない様で行きたくて行
きたくてしょうがなかったんですね。若かったんですね。
そんな中、やはり駿河小山に着いたときは、雨になっていました。それがまた冷たい雨だった事を
思い出します。
---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ---
駿河小山から御殿場線に沿って砂利の幅5m程の道路を2㌔程歩いた辺りと思います。上りD52
牽引客列車を撮りました。
更に1㌔程歩くと、鮎沢川を渡る鉄橋がありましたので、ここで上り「銀嶺」を撮影。
その場所から駿河小山方面を見ました。「銀嶺」が下って行くのが見えます。未舗装の細い道路は
バスも走っていました。
さらに200m程行くともう一つ鉄橋がありました。ここから腕木式信号機が見えましたので駅に近い
ことがわかり冷たい雨の中でホットした思い出があります。
上りD52牽引の貨物列車が通りました。
意外と早く足柄駅に着きました。下り沼津行き気動車が到着です。
丁度列車交換が見られました。
駅前広場には金太郎が熊にまたがっている像が寒い雨の中お出迎えしてくれました。けど、駅前広場
は雨でグチャグチャです。
ホ-ムを眺めました。今は懐かしい白い木製の駅名。構内には職員の詰め所もありました。駿河小山
より標高が高いのでしょうか、雪まじりの雨になりました。
寒くてそして雨がみぞれになってきました。雨だったので先を急いだのでしょうか、意外と早く足柄駅に
着いたと思います。時間はまだ午前中と思います。最悪の気候になったのにもかかわらず時間があっ
たのでこのまま御殿場まで歩くことにしたようです。我ながらタフだったんですね。
電化前の御殿場線は御殿場から沼津方面は殆んど行っていなく、写真も殆んどありません。
高校時代では御殿場から先はかなり遠い感じがした事と、やはり山間部を走る山北~駿河小山辺りが
魅力的だったのでしょう。
という事で、御殿場まで歩いたスナップ写真は次回でお終いです。
では これで。
当時の駿河小山駅で購入した硬券です。殆んど覚えていませんが11月に2回も行ったんですね。
東京からは遠いかったんでしょう、どちらも2日間有効ですね。
今回は足柄まで行きます。
昭和39年2月 自宅を出るとき雨が降りそうな天候でしたが、そんなの関係ない様で行きたくて行
きたくてしょうがなかったんですね。若かったんですね。
そんな中、やはり駿河小山に着いたときは、雨になっていました。それがまた冷たい雨だった事を
思い出します。
---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ---
駿河小山から御殿場線に沿って砂利の幅5m程の道路を2㌔程歩いた辺りと思います。上りD52
牽引客列車を撮りました。
更に1㌔程歩くと、鮎沢川を渡る鉄橋がありましたので、ここで上り「銀嶺」を撮影。
その場所から駿河小山方面を見ました。「銀嶺」が下って行くのが見えます。未舗装の細い道路は
バスも走っていました。
さらに200m程行くともう一つ鉄橋がありました。ここから腕木式信号機が見えましたので駅に近い
ことがわかり冷たい雨の中でホットした思い出があります。
上りD52牽引の貨物列車が通りました。
意外と早く足柄駅に着きました。下り沼津行き気動車が到着です。
丁度列車交換が見られました。
駅前広場には金太郎が熊にまたがっている像が寒い雨の中お出迎えしてくれました。けど、駅前広場
は雨でグチャグチャです。
ホ-ムを眺めました。今は懐かしい白い木製の駅名。構内には職員の詰め所もありました。駿河小山
より標高が高いのでしょうか、雪まじりの雨になりました。
寒くてそして雨がみぞれになってきました。雨だったので先を急いだのでしょうか、意外と早く足柄駅に
着いたと思います。時間はまだ午前中と思います。最悪の気候になったのにもかかわらず時間があっ
たのでこのまま御殿場まで歩くことにしたようです。我ながらタフだったんですね。
電化前の御殿場線は御殿場から沼津方面は殆んど行っていなく、写真も殆んどありません。
高校時代では御殿場から先はかなり遠い感じがした事と、やはり山間部を走る山北~駿河小山辺りが
魅力的だったのでしょう。
という事で、御殿場まで歩いたスナップ写真は次回でお終いです。
では これで。
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