(No159)北海道旅行② [北海道旅行夏編(昭和時代)]
早いものでもう6月が終わりですね。明日から7月、真夏到来という気持ちでいっぱい。
前日相模大野の伊勢丹で「おやつイン」と言う便利な粉をカミサンが見つけこれでマドレ-ヌを
作ってくれとの事で、早速午前中マドレ-ヌに挑戦。思ったほど簡単で1時間ほどで出来た。
ついでに蒸しパンにも挑戦、これも簡単に作れました。本当に便利な粉でした。
不ぞろいのマドレ-ヌと蒸しパンですがこれが結構美味い。
さて
今回も北海道旅行の続きで、黒松内から小樽に行きそこから夜行列車で釧路に行きました。
---1966年8月6日----
前日、小樽から10時間以上かけて釧路に到着です。眠たい目を覚まし目的の機関車8700が居る雄別
埠頭線機関区へと向いました。しかし残念ながら雄別炭山の方に移動したとの事で、我々は急いで釧路
の駅に戻りここから雄別鉄道の雄別炭山行き気動車に飛び乗りました。この年の北海道は冷夏で飛び
乗った気動車には暖房が入っていました。そう言えば長袖のシャツ1枚では寒かった記憶があります。
釧路で初めて見た耐寒耐雪設備のオハネ17、スロハ32から改造されたものらしい。
雄別鉄道のやまはな駅で列車交換です。
2連の気動車の最後部に木造客車が付いていました。
雄別炭山に到着。まさしく炭鉱の町です。山裾には社宅でしょう点々と建ち並んでいます。
雄別構内で入れ替え作業用のコッペル205が休んでいました。後方は雄別駅です。
さてお目当ての8700は何処に居るのか探した処、何と機関区の片隅に廃車となっていました。
もう一両居たはずでしたが見当たりません。
ガッカリしたけど解体されていないだけ良かったかなと思ったかもしれません。折角だから記
念写真を友人から撮ってもらいました。
ヤ-ドや機関区を探しましたが見当たらず、居たのは101(C56)、C11などが元気に煙を吐い
ていました。
また休んでいた205コッペルが貨車をチョコチョコと入れ替え作業を始めました。
どう探してももう一両の8700は見当たりません。機関区の人に聞いたら埠頭の方に行っていると
の事、先ほど埠頭から来たので変だなぁと思ったのですが、とりあえず釧路に戻る事にしました。
駅には混合列車や木造客車が停車していましたが、我々は乗ったのは気動車でした。
木造客車ナハ11から記念写真を撮ってもらいました。
その客車の車内です。背もたれ座席はビニ-ル張りだったような気がします。
再び釧路に戻って雄別埠頭線沿線を探しても見つからないのです。近くにいた繰車係の方に聞くと
何と工場に入場との事。道理で居ない筈、二人で顔を見合わせてガッカリした覚えがあります。
これは埠頭線を走るC11です。
当時この日はかなり歩き回ったのでさぞかし疲れたと思います。このあとは釧路駅前で夕食それも
ソバ屋で何を食べたのでしょうか。そして風呂屋に行きました。その風呂屋で東京から来たと言うと驚
いていました。まだまだ東京が遠かった時代だったんですね。
釧路駅に戻り18時30分の小樽行きに乗車して明日は美唄鉄道へ訪れます。
では これで。
前日相模大野の伊勢丹で「おやつイン」と言う便利な粉をカミサンが見つけこれでマドレ-ヌを
作ってくれとの事で、早速午前中マドレ-ヌに挑戦。思ったほど簡単で1時間ほどで出来た。
ついでに蒸しパンにも挑戦、これも簡単に作れました。本当に便利な粉でした。
不ぞろいのマドレ-ヌと蒸しパンですがこれが結構美味い。
さて
今回も北海道旅行の続きで、黒松内から小樽に行きそこから夜行列車で釧路に行きました。
---1966年8月6日----
前日、小樽から10時間以上かけて釧路に到着です。眠たい目を覚まし目的の機関車8700が居る雄別
埠頭線機関区へと向いました。しかし残念ながら雄別炭山の方に移動したとの事で、我々は急いで釧路
の駅に戻りここから雄別鉄道の雄別炭山行き気動車に飛び乗りました。この年の北海道は冷夏で飛び
乗った気動車には暖房が入っていました。そう言えば長袖のシャツ1枚では寒かった記憶があります。
釧路で初めて見た耐寒耐雪設備のオハネ17、スロハ32から改造されたものらしい。
雄別鉄道のやまはな駅で列車交換です。
2連の気動車の最後部に木造客車が付いていました。
雄別炭山に到着。まさしく炭鉱の町です。山裾には社宅でしょう点々と建ち並んでいます。
雄別構内で入れ替え作業用のコッペル205が休んでいました。後方は雄別駅です。
さてお目当ての8700は何処に居るのか探した処、何と機関区の片隅に廃車となっていました。
もう一両居たはずでしたが見当たりません。
ガッカリしたけど解体されていないだけ良かったかなと思ったかもしれません。折角だから記
念写真を友人から撮ってもらいました。
ヤ-ドや機関区を探しましたが見当たらず、居たのは101(C56)、C11などが元気に煙を吐い
ていました。
また休んでいた205コッペルが貨車をチョコチョコと入れ替え作業を始めました。
どう探してももう一両の8700は見当たりません。機関区の人に聞いたら埠頭の方に行っていると
の事、先ほど埠頭から来たので変だなぁと思ったのですが、とりあえず釧路に戻る事にしました。
駅には混合列車や木造客車が停車していましたが、我々は乗ったのは気動車でした。
木造客車ナハ11から記念写真を撮ってもらいました。
その客車の車内です。背もたれ座席はビニ-ル張りだったような気がします。
再び釧路に戻って雄別埠頭線沿線を探しても見つからないのです。近くにいた繰車係の方に聞くと
何と工場に入場との事。道理で居ない筈、二人で顔を見合わせてガッカリした覚えがあります。
これは埠頭線を走るC11です。
当時この日はかなり歩き回ったのでさぞかし疲れたと思います。このあとは釧路駅前で夕食それも
ソバ屋で何を食べたのでしょうか。そして風呂屋に行きました。その風呂屋で東京から来たと言うと驚
いていました。まだまだ東京が遠かった時代だったんですね。
釧路駅に戻り18時30分の小樽行きに乗車して明日は美唄鉄道へ訪れます。
では これで。
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