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(No163)北海道旅行④  [北海道旅行夏編(昭和時代)]

今回は北海道シリ-ズの続きです。前回までは美唄鉄道の4110のキャブに乗せて頂き
常盤台まで行って美唄に帰って来たところまででした。

---1966年8月7日---

美唄に戻ってきてすぐに予定の南美唄にある三美鉱業専用線のB6ナスミスウイルソンタンクロコ
を見に行く為、荷物は職員詰め所に預けたままで南美唄まで約3㌔を線路沿いに歩き始めました。
美唄~南美唄は函館本線の支線で南美唄支線と言っていました。客扱いは1日上下線で14本程
の列車が走っていました。いずれも朝夕と夜の時間帯だけでしたので時間が合わず我々は歩いた
のかもしれません。
約1㌔位歩いたところで函館本線と分かれます。南美唄支線はここから左にカ-ブして山の方に入
って行きます。
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D51がセキを引いて南美唄に向って行きました。
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南美唄駅の構内でしょうか、よく分かりません。B6の1号機が休憩していました。
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もう1台の2号機は庫の中で休んでいました。
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三美鉱業専用線内で入れ替え作業している1号機。
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帰りは南美唄から三井バスで10時頃美唄に戻りました。バス賃が15円だったみたいです。休まずに
次はボ-ルドウィン9200を見に行くため美唄駅から茶志内駅まで行きそこから三菱鉱業茶志内炭礦
専用鉄道の線路沿いを3㌔程歩くと茶志内炭鉱に着きます。
美唄駅で特急「北斗」が通過。我々の乗る列車が来ています。
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しかし9200はすでに無く、代わりに4137が煙を吐いていました。
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我々はガッカリ、長居しないで茶志内駅に戻りました。
茶志内駅前の「あけぼの食堂」と言う食堂でお昼を食べました。何を食べたのでしょうね。覚えてい
ません。
もう大分疲れが出てきていますが、もう一つの目的である美唄鉄道の4110の重連が待っています。
帰りは特急美唄行デラックスバスで美唄に戻ります。バス賃30円です。

我々は今日朝来た職員の詰め所に戻り、疲れた体を畳の上で横になると寝込んでしまいました。
どの位寝たのでしょうか、職員の方に「重連が走るよ」と起こされました。

詰め所を出るとすでに2号機と4144の2両が機関区から出発の準備をしていました。
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急いで撮影場所を適当に探し、何とか間に合い2両の4110が撮れました。
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美唄機関区の職員さん達に感謝とお礼を言って今日の予定が全て終わりました。そういえば大
きな荷物を朝から詰め所に置きっぱなしで色々な所に行っていました。何もかもお世話になって
しまいました。

明日は追分から沼ノ沢そして真谷地炭鉱へと行きます。
従って今日は何処かに宿を探さなければなりません。一様岩見沢で泊まる予定でした。

美唄15時45分発の列車に乗り岩見沢駅に到着しましたが、機関区まで行ってD50等を撮る予定でし
たが、疲れはてて何となく気分ものらず、又安そうな旅館が無さそうなので、どうせ明日は追分まで行
くのですから追分で泊まった方が便利、また安そうな旅館もありそう、そして追分機関区もあるし、と云
う事になって、急遽追分で泊まる予定になりました。

今日はここまでです。続きはまた次回でお話します。

では これで。
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