SSブログ

(No164)北海道旅行⑤ [北海道旅行夏編(昭和時代)]

北海道旅行もそろそろ終わりに近くなりました。昨日岩見沢で泊まる予定を追分に変更しました。
岩見沢駅に一度下車したのだが、もうかなり疲れていたのでしょう岩見沢機関区に行くのにどうも
行く気がしない。友人の話では今日はこの岩見沢の駅舎で泊まる予定だったが、疲れきった体を
旅館でゆっくり休みたい衝動にかられ、安い旅館を探したが何となく安い旅館がなさそうなので、
次の列車で追分まで行くことにし、そこで安い旅館を探して泊まることにした。と云う事でした。

---1966年8月7日---
今日は長い1日でした。追分に行きました。追分は実に感じのいい田舎駅だった様な気がします。
とりあえず安い旅館を探すために駅前の派出所に行って安い旅館を紹介してもらいました。早速
行ってみると「岩手屋旅館」と云う古そうな家庭的な安心できる旅館でした。
久しぶりの家庭的な食事し、そしてゆっくりと風呂につかり、旅の疲れを癒しました。今夜は布団で
寝られる。

---1966年8月8日---
朝6時起床。すっきりした目覚めです。疲れもだいぶとれました。今日で北海道を去るので、最後
の1日。記録によればこの日もかなりのハ-ドスケジュ-ルだった様です。
まずは追分駅から夕張線で沼ノ沢に行き、真谷地炭鉱で活躍している8100ボ-ルドウィンを求め
て行きました。
追分発6時57分夕張行き乗るためホ-ムで待っていると室蘭方面行きのC57牽引の普通列車が
到着。通勤時間帯で結構混んでいた事を思い出します。
002.jpg

追分から約50分、沼ノ沢駅に到着です。駅前は思ったより開けていました。その商店街をバックに
チヨット記念写真を。私がまだ19才の頃です。
009.jpg

目の前に小さなホ-ムありそこが真谷地炭鉱専用線でした。
012.jpg

そうこうしていると専用線の彼方から煙が見えました。8100かなとワクワクしながら見つめていると
残念ながらバック運転の4110形の5056号機が客車とを引いて沼ノ沢に到着した。8100は生きて
いるのかと不安が横切りました。
007.jpg

しかし、何よりも驚いたのは古い木造客車の方でしたコハフ1とホハ1。名称忘れたけど古典的なベ
ンチレ-タが印象的でした。
014.jpg
013.jpg

機関車の入れ替え作業も終わりこれから真谷地に8100を求めて向います。8時17分発真谷地行きです。
011.jpg

のどかなやな山並みを5056号機に引かれてガタゴトガタゴトとのんびりと走っています。
006.jpg

乗っていたのは10分程度だったように思います。終点真谷地駅は特別に駅舎など無く小さなプラットホ-
ムと機関庫があるだけで、周りは炭鉱の町でした。
005.jpg

さて心配なのは8100が生きているのか気になります。庫の中には4110が入っているだけで8100の姿が
有りません。
周りを見渡すと彼方に蒸気機関車のシリンダ-と前輪が無造作に置いてあるのを発見。近寄って見たら
明らかにボ-ルドウィン8100の物でした。またもや一足遅かったのでした。
015.jpg

尽いていないなぁ。我々は又もやガッカリです。帰りはバスで沼ノ沢へ、そして追分に戻って来ました。
昨日岩見沢機関区に行かなかった代わりに、これから追分機関区でお目当てのD50を見に行く事に
しました。

今回はここまでです。この後の続きのお話は次回の予定でいます。

では これで。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。