(No190)昭和38年箱根登山鉄道 [箱根登山鉄道2]
昭和38年は私が高校時代の時です。中学校のクラスメイトと2人で箱根に遊びに行った様ですが
全く覚えていません。しかし写真だけが証拠として残っています。
---1963年7月26日---
フイルムから追うと新宿からロマンスカ-SE車に乗って箱根湯本まで来たようです。
箱根湯本駅です。このロマンスカ-「さがみ」号で来たようです。懐かしい2400形の急行も停まって
いますね。
そして箱根登山鉄道に乗り換えます。車内を覗くと結構混んでいます。ホ-ム工事中なのでしょうか
ホ-ムに屋根が無く木枠の横から裸電球がぶら下がっていますね。
箱根湯本駅から塔ノ沢方面を見ています。当時はここに電車庫があったんですね。現在と比べて、
どの辺なのか全く想像も出来ません。
出山信号場のスイッチバックですね。あまり変わっていないようです。
大平台です。まだホ-ムがП形になっていませんし、まだ樹木が低く国道1号線のガ-ドレ-ルが見
えます。左の建物に見晴台があったんですね。それに今と比べると生活感が有りますね生き生きして
います。ユ1がチョコント停まっています。こんな車輌で急勾配を登って来たなんて信じられません。
拡大してみました。
登山鉄道の写真はどおゆう訳かこれしか撮っていません。何でもっと撮っていないんだと悔やんで
います。この後は芦ノ湖に行ってそして熱海に来ています。
1963年(昭和38年)当時まだ百万ドル夜景と言われていた熱海です。
今日はこんなところで。
では これで。
全く覚えていません。しかし写真だけが証拠として残っています。
---1963年7月26日---
フイルムから追うと新宿からロマンスカ-SE車に乗って箱根湯本まで来たようです。
箱根湯本駅です。このロマンスカ-「さがみ」号で来たようです。懐かしい2400形の急行も停まって
いますね。
そして箱根登山鉄道に乗り換えます。車内を覗くと結構混んでいます。ホ-ム工事中なのでしょうか
ホ-ムに屋根が無く木枠の横から裸電球がぶら下がっていますね。
箱根湯本駅から塔ノ沢方面を見ています。当時はここに電車庫があったんですね。現在と比べて、
どの辺なのか全く想像も出来ません。
出山信号場のスイッチバックですね。あまり変わっていないようです。
大平台です。まだホ-ムがП形になっていませんし、まだ樹木が低く国道1号線のガ-ドレ-ルが見
えます。左の建物に見晴台があったんですね。それに今と比べると生活感が有りますね生き生きして
います。ユ1がチョコント停まっています。こんな車輌で急勾配を登って来たなんて信じられません。
拡大してみました。
登山鉄道の写真はどおゆう訳かこれしか撮っていません。何でもっと撮っていないんだと悔やんで
います。この後は芦ノ湖に行ってそして熱海に来ています。
1963年(昭和38年)当時まだ百万ドル夜景と言われていた熱海です。
今日はこんなところで。
では これで。
コメント 0