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(No202)今は無きお山の田舎 [チョット古い写真]

以前に嵯峨谷橋で撮った和歌山線のお話をしました。今回はその嵯我谷橋から紀ノ川の支流嵯峨
谷川に沿っ約4㌔強歩くと高野口町嵯峨谷と言う山深い静かな集落に私の田舎が有りましたので、
その田舎のお話です。
写真は以前お話した時と同じ日にちで、私が高校時代の1963年(昭和38)8月に兄と一緒に訪れた
時の写真です。但カラ-2枚は1970年(昭和45)頃です。

---1963年8月5~7日---

嵯峨谷橋付近を走る和歌山の線和歌山市行C58牽引の普通列車。田舎に来た時は、この付近で
和歌山線を撮っていました。
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前にもお話しましたが幼い頃は8月のお盆になると両親に連れられ毎年里帰りをしていましたが、当時小学生の足では4
㌔の道のりは、かなりきつかった事が思いだされます。

私の思い出の田舎だった高野口嵯峨谷の集落です。標高300m位の山深い場所なので真夏でも結
構涼しかった記憶があります。(撮影1970年)
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左に見えている家が思い出の田舎の家です。この時はすでに家を売り山から下りてきて橋本市に引
っ越してしまっています。しかし今もその家はまだ有る様です。(撮影1970年)
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立派な門構えがありましたが長い歳年で大分痛んでいました。左の格子戸の所は男便所です。その
手前に玄関が有ります。写っている子供さんはここの娘さんです。とても活発な元気のよい子です。
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門構えの右側に八角形の小窓が見えます。そこはボットン便所です。長細く開いた板だけだったので
子供の頃は怖くてしょうがなかった。そう云えば紙は新聞紙をだったです。新聞紙をクシャクシャにして
使用した記憶があります。
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庭から見える遠くの彼方の山は高野山がある山麓です。夜になると高野山の明かりが見えます。黒ず
んで見えるのは激しい雨が降っています。しばらくするとこちらも激しい雨が降ってきます。にわか雨です。
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当時まだトラクタ-は珍しかった。私の兄が運転の練習をしていました。でも当時免許持っていたかな。
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土間の屋根にツバメの巣がありました。この辺りではツバメは家の中に巣を作っています。その為玄関
は開けっ放しです。
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家の裏山にミカン畑や柿畑があります。娘さんと兄が手伝いに来て木陰で休んでいます。時季になると必
ずミカンや柿を送ってくれました。
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裏山の高台にお墓が有ります。子供の頃お婆ちゃんが亡くなり土葬をしていたのを思い出します。土が凸凹
しているのはそのせいです。
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そのお墓は見晴らしのよい場所にあって、ここからは高野口の街や紀ノ川が見えます。
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田舎は嵯峨谷川の小川に沿った砂利の小道ちに咲いた彼岸花や、石垣の段々畑、カン畑、柿畑や田舎の
家のそばにあった水車小屋など思い出が一杯詰まっています。今でも田んぼの土手に咲いている彼岸花な
ど見ると当時の情景をふと思いだします。

今回は鉄道のネタ切れです。早めにネガをスキャンしないと。

では これで。
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