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(No206)散々だった狩勝峠② [北海道旅行夏編(昭和時代)]

今日は友人の娘さんの結婚式に根府川にあるヒルトン小田原リゾ-ト&スパ行って
ビデオ撮影をしてきました。このお話は次回としまして今回は散々だった狩勝峠の
お話の続きです。

---1966年8月12日---

さて、最初に訪れた時(10日)は、濃霧で写真がろくに撮れず9時頃には引き上げてしまいました。
前回もお話しましたが、その日の夜行で稚内まで行きました。どしゃ降りの雨で観光は残念して
再び宗谷本線で名寄へ。名寄機関区に寄ってから名寄本線で遠軽へ。そして石北本線で旭川
に出ました。乗り鉄でしたが殆んど寝ていて何も覚えていません。
明日は再び狩勝峠に行きますので、どうしても何処かで一泊しなければいけません。貧乏学生だ
ったので旅館を泊まる事も出来ませんので、何処かの駅で夜行列車に乗らなければいけません。
多分函館本線の何処かの駅で夜行列車に乗ったのでしょう。どのような列車の乗り継ぎで行った
か、まるで記憶にないのですがとにかく新内には到着しているのです。

新内駅で列車交換。多分この右側の気動車で乗ってきたと思います。
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当時の新内~狩勝信号場のダイヤです。貨物列車も入れると本数が結構あったんですね。
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残念ながら天候はあい変わらずで、今にも降ってきそうな天気でした。まっ、とりあえず来たのだから
かの有名な大Sカ-ブまで歩く事にしました。誰一人いない林の中をどの位歩いたのでしょうか。今考
えると熊の事など考えて居なかったようです。
大カ-ブに着きましたが、天候が良くなく今にも降りそうでした。線路より上にある国道は霧のため、
見えません。

森林の中から2本の煙だけが見えてきました。大Sカ-ブをD51貨物列車がゆっくりと登ってきます。
004.jpg

どの位かかったのでしょうか。やっと大カ-ブをD51貨物列車が登って来ました。
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長い貨物の最後にはD51の補機が後押しをしています。目の前を通り過ぎる迫力はすばらしい。
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11時近くに特急「おおとり」がエンジン高らかに登ってきました。流石に早い。
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狩勝信号場からD51貨物が下ってきました。
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14時頃、そろそろ引き上げです。新内発14時過ぎのC57牽引普通列車に乗車、貨物列車と交換です。
後方にはD51の補機が付いていました。
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車窓から先ほどの大カ-ブを名残惜しいので思わず撮ったのでしょうか。
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すぐさま後方の補機も撮っていました。
008.jpg

結局、2日間訪れたのですが、狩勝信号場の濃霧と寒さ、どん曇りで雄大な十勝平野の展望も見
られなかった事など長旅の疲れた体に追い討ちをかけたような気がします。しかし、ガッカリしたこ
とは今はいい思い出となっています。この年1966年の秋には新狩勝トンネルが完成し、この絶景
狩勝峠も見られなくなりました。

では これで。
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