(No264)冬の東北・北海道旅行④小沢・倶知安峠 [東北・北海道冬編(昭和時代)]
1969年1月13日。冬の東北・北海道旅行の続きです。
倶知安の駅前旅館で一泊し疲れた体を休めた我々は小沢に行き倶知安峠に挑む「ニセコ」を追
いかけました。
ネガを見ると朝から雪だったようです。ネガを見ると昨日の倶知安駅の夜から、いきなり小沢から
倶知安方面1㌔程で来た場所になっていて、小さなラッセル車が走って来るのが写っていました。
かなりの雪が降っていたようです。D51牽引普通列車がゆっくりとした速度で倶知安峠に登って
来ました。
岩内線の二つ目玉の9600がわずか3両の貨物を引っ張って来ました。かなり苦しいのか、煙が
もの凄い。
雪の撮影は特に下ってくる列車は音も無くいきなり現れてきます。時刻表に載っていない貨物列
車やラッセル車等は何時来るか分からないので特に万全の注意をはらって撮影をしていました。
雪は相変わらず降り続いていました。「ニセコ」を撮るためにどの位待ったのでしょうかね。吹雪きの
音に混じってかすかに例のジェット機音が聞こえてきました。D51の列車の速度とは比べものになら
ないほどの早いスピ-ドで駆け上がって来ました。
この後、小沢から二股に行き「ニセコ」を撮りに行きましたが冬の北海道の夕暮れは早く20分程遅
れて来たので、辺りはすでに暗くなりこんな写真しか撮れませんでした。
二股駅の待合室で倶知安に戻るため列車待ちをしている鉄友。待合室の暖房はダルマスト-ブ。
当時このタイプのダルマスト-ブが主流でした。そばにある木箱には石炭が入っています。
当時の二股駅の時刻表です。
再び倶知安の宿に戻り次の日は上目名に行きました。次回は上目名で「ニセコ」を追いかけたお
話です。
では これで。
倶知安の駅前旅館で一泊し疲れた体を休めた我々は小沢に行き倶知安峠に挑む「ニセコ」を追
いかけました。
ネガを見ると朝から雪だったようです。ネガを見ると昨日の倶知安駅の夜から、いきなり小沢から
倶知安方面1㌔程で来た場所になっていて、小さなラッセル車が走って来るのが写っていました。
かなりの雪が降っていたようです。D51牽引普通列車がゆっくりとした速度で倶知安峠に登って
来ました。
岩内線の二つ目玉の9600がわずか3両の貨物を引っ張って来ました。かなり苦しいのか、煙が
もの凄い。
雪の撮影は特に下ってくる列車は音も無くいきなり現れてきます。時刻表に載っていない貨物列
車やラッセル車等は何時来るか分からないので特に万全の注意をはらって撮影をしていました。
雪は相変わらず降り続いていました。「ニセコ」を撮るためにどの位待ったのでしょうかね。吹雪きの
音に混じってかすかに例のジェット機音が聞こえてきました。D51の列車の速度とは比べものになら
ないほどの早いスピ-ドで駆け上がって来ました。
この後、小沢から二股に行き「ニセコ」を撮りに行きましたが冬の北海道の夕暮れは早く20分程遅
れて来たので、辺りはすでに暗くなりこんな写真しか撮れませんでした。
二股駅の待合室で倶知安に戻るため列車待ちをしている鉄友。待合室の暖房はダルマスト-ブ。
当時このタイプのダルマスト-ブが主流でした。そばにある木箱には石炭が入っています。
当時の二股駅の時刻表です。
再び倶知安の宿に戻り次の日は上目名に行きました。次回は上目名で「ニセコ」を追いかけたお
話です。
では これで。
今日偶然にあなたのブログをみて、「二股駅」の写真を見つけ感激しています。私の父親がこの駅の助役をやっていたので、昭和38年ごろ官舎に住んでいました。当時私は中学三年生でした。現在は貨車の無人駅ですが、当時は函館本線が主要本線のため、駅員も駅長以下10人近くいて、優等列車もほとんどここを通っていました。吹雪のなかC62重連の急行「ていね?」がドラフトを響かせて駅構内を驀進し、父親がそれを見送る姿は今でも忘れられません。当時は道内すべての始発が函館駅だったので、写真にもあるような「函館発旭川行普通列車」が走っていたようです。今から考えると隔世の感がありますが、のんびりした良き時代だったといえます。貴重な写真のアップ、本当に有難うございました。
by 昔の二股駅官舎住人 (2015-08-15 10:33)