(No274)高崎機関区 [昭和時代1]
高崎機関区は直江津から上野に帰るときに高崎で下車して寄ったみたいです。
どうしてか35mmフイルムでは撮っていなく6x6版のブロ-ニのみで撮っていました。きっと撮
り鉄旅行の最終日だったので35mmフイルムが無くなっていたのでしょう。
---1970年3月13日---
あまり当てにならない当時のメモ帳には直江津9時29発で高崎には15時48分に到着と明記
して有りました。高崎には6時間半以上もかかって着いたんですね。
高崎機関区には当時は蒸気機関車の第一機関区と電気機関車の第二機関区と分かれてい
ました。当然のように第一機関区の方を訪れていました。
扇形機関庫は16番線まで有ったようです。
庫の中にで3カット、こうやって見るとC58も可愛い顔をしていますね。
このC1247は桐生(支)の釜だったと思います。左隣にはすでにDD51も入っていました。
お顔が警戒色に塗られた9600。
C11と9600が肩をならべて休んでいますが、C11のシ-ルドビ-ムが黒ずんでいますね。生きて
いたのかな。
9600の奥に止まっているのはC1249。ナンバプレ-トが外されて廃車の様ですね。
ピットには出番を待つC58が止まっています。
蒸気機関車の第一区機関区には真新しいディ-ゼル機関車がDE11が導入されていました。
第一機関区から高崎の駅を見ています。丁度キハ81系の特急「いなほ」が出発して行きました。
高崎の蒸気機関車は主に八高線で石灰を運ぶホキを牽引して活躍していました。残念な事に
当時八高線で活躍していたC58、D51、9600等の姿を見たこともないのです。
高崎第一機関区跡には今は駐車場になっているようですね。
では これで。
どうしてか35mmフイルムでは撮っていなく6x6版のブロ-ニのみで撮っていました。きっと撮
り鉄旅行の最終日だったので35mmフイルムが無くなっていたのでしょう。
---1970年3月13日---
あまり当てにならない当時のメモ帳には直江津9時29発で高崎には15時48分に到着と明記
して有りました。高崎には6時間半以上もかかって着いたんですね。
高崎機関区には当時は蒸気機関車の第一機関区と電気機関車の第二機関区と分かれてい
ました。当然のように第一機関区の方を訪れていました。
扇形機関庫は16番線まで有ったようです。
庫の中にで3カット、こうやって見るとC58も可愛い顔をしていますね。
このC1247は桐生(支)の釜だったと思います。左隣にはすでにDD51も入っていました。
お顔が警戒色に塗られた9600。
C11と9600が肩をならべて休んでいますが、C11のシ-ルドビ-ムが黒ずんでいますね。生きて
いたのかな。
9600の奥に止まっているのはC1249。ナンバプレ-トが外されて廃車の様ですね。
ピットには出番を待つC58が止まっています。
蒸気機関車の第一区機関区には真新しいディ-ゼル機関車がDE11が導入されていました。
第一機関区から高崎の駅を見ています。丁度キハ81系の特急「いなほ」が出発して行きました。
高崎の蒸気機関車は主に八高線で石灰を運ぶホキを牽引して活躍していました。残念な事に
当時八高線で活躍していたC58、D51、9600等の姿を見たこともないのです。
高崎第一機関区跡には今は駐車場になっているようですね。
では これで。
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