(No301)蒸気時代の新鶴見① [昭和時代1]
今日は1966年(昭和41)3月に鉄友と新鶴見、浜川崎の蒸気機関車を見に行ってきた時の写真をアップ
します。新鶴見で撮った写真のなかで今回は新鶴見操作場の方をご覧下さい。
新鶴見構内を人道橋から撮っています。左側は貨物のヤ-ド、右側が機関区ですね。
D51が長い貨物列車をハンプに向けて押し上げていきます。左隅に気になる電気機関車が見えます。
その電機はEH10のファ-ストナンバ-でした。
押上線からゆっくりとハンプに向っていく貨物列車。しかし長いですね
時速2㌔程度のゆっくりした速度なので機関車の煙が人道橋に覆いかぶさっていました。
3本ある線路のうち、押上線は両サイドの2本で真ん中の1本は機廻線です。
ここで係りの方が貨車を切り離し方向別仕分線へと貨車が下っていきます。
貨車が全て仕分線に送り込んで作業終了したD51が機廻線で戻ってきます。
すでに準備されていた貨物列車がもう一本の押上線を上って来ました。
日本では、すでにすべてのハンプヤードが閉鎖されていますね。
次回は新鶴見機関区を予定しています。
では これで。
します。新鶴見で撮った写真のなかで今回は新鶴見操作場の方をご覧下さい。
新鶴見構内を人道橋から撮っています。左側は貨物のヤ-ド、右側が機関区ですね。
D51が長い貨物列車をハンプに向けて押し上げていきます。左隅に気になる電気機関車が見えます。
その電機はEH10のファ-ストナンバ-でした。
押上線からゆっくりとハンプに向っていく貨物列車。しかし長いですね
時速2㌔程度のゆっくりした速度なので機関車の煙が人道橋に覆いかぶさっていました。
3本ある線路のうち、押上線は両サイドの2本で真ん中の1本は機廻線です。
ここで係りの方が貨車を切り離し方向別仕分線へと貨車が下っていきます。
貨車が全て仕分線に送り込んで作業終了したD51が機廻線で戻ってきます。
すでに準備されていた貨物列車がもう一本の押上線を上って来ました。
日本では、すでにすべてのハンプヤードが閉鎖されていますね。
次回は新鶴見機関区を予定しています。
では これで。
タグ:新鶴見
2009-01-21 22:41
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