(№547)昭和42年の身延線① [昭和時代3]
昭和42年2月22日、今も続いている鉄友と二人で車で身延線を撮りに行きました。当時はまだ中央高速がないので国道20号線で行きました。車は1500ccのワインレッド色のいすゞベレットでした。
身延線には石和から国道140号線に入って笛吹川沿いに走ったと思います。後は多分身延線に沿って走ったかも知れませんが全く覚えていません。
笛吹川を渡る身延線を撮っていました。ここで休憩がてら、しばらくいた様です。
今回は笛吹川界隈で撮った写真です。
富士行き急行「富士川」
低屋根の2扉クロスシ-ト、クモハ43でしょうか、
これはクモハユニ44でしょうか。どうもよくわかりませんが、まだまだこの様な電車が沢山走っていました。
貨物はED17が牽引していました。運よくファ-ストナンバ-が来ました。
逆光を浴びた電気機関車の写真は印象的で私は好きです。
さて、先笛吹川はその先の鰍沢口で釜無川と合流して富士川となって山間を流れて行きます。道路も砂利道で
こんな素掘りの隧道もありました。
何とこんな素掘り隧道にボンネットバスが来ました。当時でも凄いなぁと感じたものでした。
こんな砂利道で山間を走って行ったんですね。砂利道なのでスピ-ドも出ないし、乗り心地も悪かったでしょうね。
次回はこの続きを予定しています。
では これで。
身延線には石和から国道140号線に入って笛吹川沿いに走ったと思います。後は多分身延線に沿って走ったかも知れませんが全く覚えていません。
笛吹川を渡る身延線を撮っていました。ここで休憩がてら、しばらくいた様です。
今回は笛吹川界隈で撮った写真です。
富士行き急行「富士川」
低屋根の2扉クロスシ-ト、クモハ43でしょうか、
これはクモハユニ44でしょうか。どうもよくわかりませんが、まだまだこの様な電車が沢山走っていました。
貨物はED17が牽引していました。運よくファ-ストナンバ-が来ました。
逆光を浴びた電気機関車の写真は印象的で私は好きです。
さて、先笛吹川はその先の鰍沢口で釜無川と合流して富士川となって山間を流れて行きます。道路も砂利道で
こんな素掘りの隧道もありました。
何とこんな素掘り隧道にボンネットバスが来ました。当時でも凄いなぁと感じたものでした。
こんな砂利道で山間を走って行ったんですね。砂利道なのでスピ-ドも出ないし、乗り心地も悪かったでしょうね。
次回はこの続きを予定しています。
では これで。
はじめてコメントさせていただきます。ヨッキれんと申します。
今ではもう2度と見る事が出来ない一昔前の日本の風景を、丁寧な写真と文章で惜しげもなくご紹介下さるしゅうちゃんさんのブログを、いつも楽しませていただいております。本当にありがたいことです。
こちらの記事に掲載されている道路の隧道ですが、これは現在の身延町西島地内にある西崎隧道であるかと推察します。現在は国道52号の旧道となっていて、コンクリートで覆工がなされているため往時の面影はありませんが、立派に現役であり続けています。
近日中に、私が運営しております道路探訪サイト「山さ行がねが」(http://yamaiga.com/)にて、西崎隧道を紹介する記事を制作する予定なのですが、こちらのブログに掲載されている当該隧道の写真2点を、しゅうちゃんさんが写真について書かれたコメントと共に、引用させて頂く事は可能でしょうか。なにとぞ、ご検討をお願い致します。
by ヨッキれん (2014-06-29 14:05)
ヨッキれんさん
旅行していたのでご返事遅れてすいません。
ブログ見ていただいてありがとうございます。
写真の件ですがどうぞお使いになってください。今昔との比較お役にたつと幸いです。
by シュウチャン (2014-07-05 09:58)