(№548)昭和42年の身延線② [昭和時代3]
今日も引き続き昭和42年2月に車で行った身延線撮影記です
笛吹川橋梁で撮影してそしていよいよ身延の山里へと車を走らせます。笛吹川は鰍沢口で釜無川と合流して富士川と名称を変えて身延の山里を流れます。道路は殆ど砂利道でした。
ここは何処の吊り橋だったのでしょうか、結構立派な吊り橋にボンネットバスが幅いっぱい使って渡っています。
ここもどの辺だったのか全く分かりません。ED17の牽引貨物をここで撮りましたが当時は貨物の運用などの情報は駅に聞くしかありませんでした。しかし聞いた記憶がないので多分偶然に来たのでしょう。
後追いです。大分山里に来ています。でもいい感じです。
この場所で甲府行きの電車も撮っていました。
もう午後だったのでしょう、身延行きの電車からは元気な小学生が降りて来ました。ここは塩ノ沢駅です。
元気がいいですね。何処まで通学していたんでしょうね。
さて、白黒ネガでは富士宮辺りで撮っていないので確か富士宮辺はカラ-ネガで撮った記憶があったのでゴソゴソと探したら見つかりさっそくスキャン。しかし劣化が激しくいくら頑張ってもこの程度しか発色しませんでした。
西富士宮から沼久保方面に向かった場所からから見た富士山です。
身延線は西富士宮から沼久保に向かって富士山をバックにしてSカ-ブで上って行きます。
ここは多分西富士宮駅。留置線には懐かしい湘南86系とクハ47系が休んでいます。
40年前の写真、ちゃんと記録していないから場所などが全く分からない。今となってはネガの順番で記憶をたどって苦労します。きっと記憶違いもあるんでしょう、でも訪れたのは確かなんですけどね。
では これで。
笛吹川橋梁で撮影してそしていよいよ身延の山里へと車を走らせます。笛吹川は鰍沢口で釜無川と合流して富士川と名称を変えて身延の山里を流れます。道路は殆ど砂利道でした。
ここは何処の吊り橋だったのでしょうか、結構立派な吊り橋にボンネットバスが幅いっぱい使って渡っています。
ここもどの辺だったのか全く分かりません。ED17の牽引貨物をここで撮りましたが当時は貨物の運用などの情報は駅に聞くしかありませんでした。しかし聞いた記憶がないので多分偶然に来たのでしょう。
後追いです。大分山里に来ています。でもいい感じです。
この場所で甲府行きの電車も撮っていました。
もう午後だったのでしょう、身延行きの電車からは元気な小学生が降りて来ました。ここは塩ノ沢駅です。
元気がいいですね。何処まで通学していたんでしょうね。
さて、白黒ネガでは富士宮辺りで撮っていないので確か富士宮辺はカラ-ネガで撮った記憶があったのでゴソゴソと探したら見つかりさっそくスキャン。しかし劣化が激しくいくら頑張ってもこの程度しか発色しませんでした。
西富士宮から沼久保方面に向かった場所からから見た富士山です。
身延線は西富士宮から沼久保に向かって富士山をバックにしてSカ-ブで上って行きます。
ここは多分西富士宮駅。留置線には懐かしい湘南86系とクハ47系が休んでいます。
40年前の写真、ちゃんと記録していないから場所などが全く分からない。今となってはネガの順番で記憶をたどって苦労します。きっと記憶違いもあるんでしょう、でも訪れたのは確かなんですけどね。
では これで。
タグ:身延線
私は富士宮市出身なのですが、非常に感慨深かったです。
私のブログにリンクを貼ってしまったのですが、よろしかったでしょうか?
by 暁 (2010-06-12 03:05)