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北海道旅行夏編(昭和時代) ブログトップ

(No206)散々だった狩勝峠② [北海道旅行夏編(昭和時代)]

今日は友人の娘さんの結婚式に根府川にあるヒルトン小田原リゾ-ト&スパ行って
ビデオ撮影をしてきました。このお話は次回としまして今回は散々だった狩勝峠の
お話の続きです。

---1966年8月12日---

さて、最初に訪れた時(10日)は、濃霧で写真がろくに撮れず9時頃には引き上げてしまいました。
前回もお話しましたが、その日の夜行で稚内まで行きました。どしゃ降りの雨で観光は残念して
再び宗谷本線で名寄へ。名寄機関区に寄ってから名寄本線で遠軽へ。そして石北本線で旭川
に出ました。乗り鉄でしたが殆んど寝ていて何も覚えていません。
明日は再び狩勝峠に行きますので、どうしても何処かで一泊しなければいけません。貧乏学生だ
ったので旅館を泊まる事も出来ませんので、何処かの駅で夜行列車に乗らなければいけません。
多分函館本線の何処かの駅で夜行列車に乗ったのでしょう。どのような列車の乗り継ぎで行った
か、まるで記憶にないのですがとにかく新内には到着しているのです。

新内駅で列車交換。多分この右側の気動車で乗ってきたと思います。
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当時の新内~狩勝信号場のダイヤです。貨物列車も入れると本数が結構あったんですね。
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残念ながら天候はあい変わらずで、今にも降ってきそうな天気でした。まっ、とりあえず来たのだから
かの有名な大Sカ-ブまで歩く事にしました。誰一人いない林の中をどの位歩いたのでしょうか。今考
えると熊の事など考えて居なかったようです。
大カ-ブに着きましたが、天候が良くなく今にも降りそうでした。線路より上にある国道は霧のため、
見えません。

森林の中から2本の煙だけが見えてきました。大Sカ-ブをD51貨物列車がゆっくりと登ってきます。
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どの位かかったのでしょうか。やっと大カ-ブをD51貨物列車が登って来ました。
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長い貨物の最後にはD51の補機が後押しをしています。目の前を通り過ぎる迫力はすばらしい。
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11時近くに特急「おおとり」がエンジン高らかに登ってきました。流石に早い。
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狩勝信号場からD51貨物が下ってきました。
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14時頃、そろそろ引き上げです。新内発14時過ぎのC57牽引普通列車に乗車、貨物列車と交換です。
後方にはD51の補機が付いていました。
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車窓から先ほどの大カ-ブを名残惜しいので思わず撮ったのでしょうか。
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すぐさま後方の補機も撮っていました。
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結局、2日間訪れたのですが、狩勝信号場の濃霧と寒さ、どん曇りで雄大な十勝平野の展望も見
られなかった事など長旅の疲れた体に追い討ちをかけたような気がします。しかし、ガッカリしたこ
とは今はいい思い出となっています。この年1966年の秋には新狩勝トンネルが完成し、この絶景
狩勝峠も見られなくなりました。

では これで。
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(No205)散々だった狩勝峠① [北海道旅行夏編(昭和時代)]

この2,3日夕方になるとカミナリが鳴りそして凄い雨が降ってきます。いったいこの天気はいつま
で続くんでしょうか。

さて、今回はもう忘れかけていた北海道旅行夏編(No167)の続きです。時代は1966年(昭和40)
8月9日になります。

一緒北海道を回った友人と青森まで戻って来ましたが、私はどうしても根室本線の狩勝峠が見た
くなり、彼と一緒に帰る予定を変更して再度青函連絡船に乗って北海道に渡ったのでした。
急に思いついたのでスケジユ-ルが全く決めていなかったと思います。
全く覚えていませんが新内駅と狩勝信号場で押したと思うスタンプです。
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---1966年8月10日---

函館に着いたのが9日のAM10時半でした。函館から狩勝峠に行くのには、小樽で夜行列車に乗
り換えてやっと着きます。一日ががりです。日付が10日になりました。この日は落合では晴れてい
たので狩勝も晴れていると思っていました。
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列車は狩勝へと登って行きますが、だんだんと天候が怪しくなって、とうとう狩勝信号場に着いた
時はすでに曇っていました。
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数分もしないうちに霧が深くなってきて、狩勝の駅舎が霞んできました。
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職員の詰め所の前で記念写真を撮っていました。こんな格好でも非常に寒かった事を覚えています。
寒そうにしている私を見て職員の方が暖房の入っている詰所に入れてくれました。暖かいお茶も頂き
ました。
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霧に包まれ、殆んど周囲が見えなくなりました。やっとお見せできる写真がたった3枚のカットしか撮れ
ませんでした。
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霧が深く、おまけに非常に寒いという事で狩勝信号場をこれ以上いても拉致が上がらないので引き
上げることにしました。当時のあやしいメモを見ると9時頃撤退して、夜行列車で、稚内に行っていま
した。
稚内早朝6時頃到着し観光で利尻島に行く予定でしたが、もの凄い雨でそれどころではなかった様で
仕方が無いのでこの日は一日中列車に乗っていました。そして再び夜行列車に乗って再度狩勝へ向
いました。日付は8月12日になります。今度は新内に行き狩勝峠の雄大な景観を見に行ったのですが‥‥。

続きは次回で

では これで。



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(No167)北海道旅行⑦ [北海道旅行夏編(昭和時代)]

雨はまだ降っていませんがどんよりした空模様。遠くの方でカミナリが聞こえます。
何となくもうすぐ梅雨明けの雰囲気。
さて
北海道シリ-ズ今回で一様最終回です。

---1966年8月8日---
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追分からC551に引かれて我々の乗った列車は製鉄の街、室蘭に向います。

何処の駅でしょうか。車窓から前方を見ていたらC55が来ました。
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駅、停車中に石炭を均す機関助士。テンダ-に物凄い勢いで給水しています。
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室蘭の街に入ってきました。まもなく室蘭駅に到着です。
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室蘭本線の東室蘭駅から分かれ8㌔程で室蘭駅に到着しました。
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お盆で何かお祭りでもあるのでしょうか。ちょうちんがところ狭しとぶら下っています。駅の時計が
15時35分頃指しています。
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室蘭機関区に来ました。機関区に入ると目の前に9600が休息していました。
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室蘭機関区のC55は1を除いては流線型時代の改造車で丸い屋根のキャブにその跡が残っています。
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しばらくすると、さっきのC551がバックで機関区に戻ってきました。
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タ-ンテイブルにゆっくりと乗ります。
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方向転換し、そして保留線に入ってきました。
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点検のために一時停車します。係りの方がオイルを注し回っていました。
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水かき付きの大きなスポ-ク動輪。スポ-クはいい感じですね。
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目的のC55が見られて満足。機関区の帰り夕食を室蘭駅前のパ-ラ-でお腹が空いていたのでしょうか、
焼き飯とラ-メンを食べたと友人の記録に書いてありました。
さて、いよいよ函館に行きます。室蘭から東室蘭まで行き、そこから19時30分発の臨時列車「石狩」に乗車。
牽引の釜はC55+C57の重連です。この列車には食堂車が連結していて、客室と食堂車の半分ずつのオハ
シのダブルル-フの客車で三軸台車を履いていました。我々は食堂車で美味しいコ-ヒを飲みながら三軸
台車の音と乗りごごち楽しみました。

函館到着22時頃だったと思います。船は八甲田丸。すでに函館港の岸壁に横たわっていました。出航は0時
10分発。いよいよ北海道を去るのです。真夜中の函館の街明かりがだんだん遠くなっていきます。何となく心
残りでもありました。

友人と初めての北海道でした。青森に戻ったときはすごく安心感と無事に帰れたと言う気持ちでいっぱいでした。
当時それだけまだ北海道は遠かったのですね。

実は青森に着いた時一度は見たかった狩勝峠に行きたい気持ちになり、友人と別れ再度青函連絡船に乗車し
北海道の大地に再び戻ったのでした。狩勝峠を見たさに‥‥。

北海道旅行はこれでお仕舞いです。狩勝峠はいずれお話します。

では これで。




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(No166)北海道旅行⑥ [北海道旅行夏編(昭和時代)]

今回は北海道旅行シリ-ズの続きで、真谷地から追分まで戻ってきました。
北海道旅行とうとう最後の日になって残りの訪問場所があと2箇所となりました。

---1966年8月8日---
昨日岩見沢機関区のD50を撮り損ねていたのでその代わり追分機関区のD50を見に行く
事にしました。
追分機関区の入り口です。追分駅からどうやって来たのか覚えていません。
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追分機関区の扇形機関庫。この庫は1976年4月13日火災になって庫中にいた機関車等が
廃車になってしまったとか。
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お目当てのD50は庫の中で休んでいて、外にはいませんでした。
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そのほかの釜も殆んど庫の中に休んでいました。
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庫の中でC58が下回り点検でばらされていました。何か大きな模型を見ているようです。
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D50が庫に入ったままなので途中から室蘭本線の追分駅構内のヤ-ドで長編成のセキを
引張るD51やC55牽引客列車などを撮りながら時間を潰していました。
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C55牽引の客列車。
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ギ-ルス・エジェクタ付きのD51が来ました。
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追分機関区にはギ-ルス・エジェクタ付きのD51が数量配置されていました。特徴のある煙突
だったですね。
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地元の子供がとりもちを塗った長い竹ざおを持ってセミを取りに行くようです。私も子供の頃やった
覚えがあります。指に唾を付けてとりもちを竹ざおの先に塗って、そして高い木にとまっているセミを
獲るのです。警報機も無い小さな踏切をC55が通過していきます。
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室蘭行きの時間になりました。
追分13時3分発の室蘭行きの列車が到着。運良くC55のファ-ストナンバが来ました。
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ホ-ムに白いホ-ロのタンクが見えます。これは飲料水で、中には氷が入っており脇にぶら下って
いるアルミのコップで、冷たい水が無料で飲めます。真夏の冷水サ-ビスだったのでしょう。
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さて、このC551が牽引する列車に乗り最後の訪問、室蘭機関区へと足を延ばします。

続きはまた次回です。

では これで。
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(No164)北海道旅行⑤ [北海道旅行夏編(昭和時代)]

北海道旅行もそろそろ終わりに近くなりました。昨日岩見沢で泊まる予定を追分に変更しました。
岩見沢駅に一度下車したのだが、もうかなり疲れていたのでしょう岩見沢機関区に行くのにどうも
行く気がしない。友人の話では今日はこの岩見沢の駅舎で泊まる予定だったが、疲れきった体を
旅館でゆっくり休みたい衝動にかられ、安い旅館を探したが何となく安い旅館がなさそうなので、
次の列車で追分まで行くことにし、そこで安い旅館を探して泊まることにした。と云う事でした。

---1966年8月7日---
今日は長い1日でした。追分に行きました。追分は実に感じのいい田舎駅だった様な気がします。
とりあえず安い旅館を探すために駅前の派出所に行って安い旅館を紹介してもらいました。早速
行ってみると「岩手屋旅館」と云う古そうな家庭的な安心できる旅館でした。
久しぶりの家庭的な食事し、そしてゆっくりと風呂につかり、旅の疲れを癒しました。今夜は布団で
寝られる。

---1966年8月8日---
朝6時起床。すっきりした目覚めです。疲れもだいぶとれました。今日で北海道を去るので、最後
の1日。記録によればこの日もかなりのハ-ドスケジュ-ルだった様です。
まずは追分駅から夕張線で沼ノ沢に行き、真谷地炭鉱で活躍している8100ボ-ルドウィンを求め
て行きました。
追分発6時57分夕張行き乗るためホ-ムで待っていると室蘭方面行きのC57牽引の普通列車が
到着。通勤時間帯で結構混んでいた事を思い出します。
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追分から約50分、沼ノ沢駅に到着です。駅前は思ったより開けていました。その商店街をバックに
チヨット記念写真を。私がまだ19才の頃です。
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目の前に小さなホ-ムありそこが真谷地炭鉱専用線でした。
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そうこうしていると専用線の彼方から煙が見えました。8100かなとワクワクしながら見つめていると
残念ながらバック運転の4110形の5056号機が客車とを引いて沼ノ沢に到着した。8100は生きて
いるのかと不安が横切りました。
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しかし、何よりも驚いたのは古い木造客車の方でしたコハフ1とホハ1。名称忘れたけど古典的なベ
ンチレ-タが印象的でした。
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機関車の入れ替え作業も終わりこれから真谷地に8100を求めて向います。8時17分発真谷地行きです。
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のどかなやな山並みを5056号機に引かれてガタゴトガタゴトとのんびりと走っています。
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乗っていたのは10分程度だったように思います。終点真谷地駅は特別に駅舎など無く小さなプラットホ-
ムと機関庫があるだけで、周りは炭鉱の町でした。
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さて心配なのは8100が生きているのか気になります。庫の中には4110が入っているだけで8100の姿が
有りません。
周りを見渡すと彼方に蒸気機関車のシリンダ-と前輪が無造作に置いてあるのを発見。近寄って見たら
明らかにボ-ルドウィン8100の物でした。またもや一足遅かったのでした。
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尽いていないなぁ。我々は又もやガッカリです。帰りはバスで沼ノ沢へ、そして追分に戻って来ました。
昨日岩見沢機関区に行かなかった代わりに、これから追分機関区でお目当てのD50を見に行く事に
しました。

今回はここまでです。この後の続きのお話は次回の予定でいます。

では これで。
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(No163)北海道旅行④  [北海道旅行夏編(昭和時代)]

今回は北海道シリ-ズの続きです。前回までは美唄鉄道の4110のキャブに乗せて頂き
常盤台まで行って美唄に帰って来たところまででした。

---1966年8月7日---

美唄に戻ってきてすぐに予定の南美唄にある三美鉱業専用線のB6ナスミスウイルソンタンクロコ
を見に行く為、荷物は職員詰め所に預けたままで南美唄まで約3㌔を線路沿いに歩き始めました。
美唄~南美唄は函館本線の支線で南美唄支線と言っていました。客扱いは1日上下線で14本程
の列車が走っていました。いずれも朝夕と夜の時間帯だけでしたので時間が合わず我々は歩いた
のかもしれません。
約1㌔位歩いたところで函館本線と分かれます。南美唄支線はここから左にカ-ブして山の方に入
って行きます。
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D51がセキを引いて南美唄に向って行きました。
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南美唄駅の構内でしょうか、よく分かりません。B6の1号機が休憩していました。
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もう1台の2号機は庫の中で休んでいました。
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三美鉱業専用線内で入れ替え作業している1号機。
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帰りは南美唄から三井バスで10時頃美唄に戻りました。バス賃が15円だったみたいです。休まずに
次はボ-ルドウィン9200を見に行くため美唄駅から茶志内駅まで行きそこから三菱鉱業茶志内炭礦
専用鉄道の線路沿いを3㌔程歩くと茶志内炭鉱に着きます。
美唄駅で特急「北斗」が通過。我々の乗る列車が来ています。
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しかし9200はすでに無く、代わりに4137が煙を吐いていました。
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我々はガッカリ、長居しないで茶志内駅に戻りました。
茶志内駅前の「あけぼの食堂」と言う食堂でお昼を食べました。何を食べたのでしょうね。覚えてい
ません。
もう大分疲れが出てきていますが、もう一つの目的である美唄鉄道の4110の重連が待っています。
帰りは特急美唄行デラックスバスで美唄に戻ります。バス賃30円です。

我々は今日朝来た職員の詰め所に戻り、疲れた体を畳の上で横になると寝込んでしまいました。
どの位寝たのでしょうか、職員の方に「重連が走るよ」と起こされました。

詰め所を出るとすでに2号機と4144の2両が機関区から出発の準備をしていました。
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急いで撮影場所を適当に探し、何とか間に合い2両の4110が撮れました。
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美唄機関区の職員さん達に感謝とお礼を言って今日の予定が全て終わりました。そういえば大
きな荷物を朝から詰め所に置きっぱなしで色々な所に行っていました。何もかもお世話になって
しまいました。

明日は追分から沼ノ沢そして真谷地炭鉱へと行きます。
従って今日は何処かに宿を探さなければなりません。一様岩見沢で泊まる予定でした。

美唄15時45分発の列車に乗り岩見沢駅に到着しましたが、機関区まで行ってD50等を撮る予定でし
たが、疲れはてて何となく気分ものらず、又安そうな旅館が無さそうなので、どうせ明日は追分まで行
くのですから追分で泊まった方が便利、また安そうな旅館もありそう、そして追分機関区もあるし、と云
う事になって、急遽追分で泊まる予定になりました。

今日はここまでです。続きはまた次回でお話します。

では これで。
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(No160)北海道旅行③ [北海道旅行夏編(昭和時代)]

7月1日夏到来で山開き、海開きしました。でも今日は少し寒かったですね。
さて
北海道旅行もたけなわ、釧路から小樽行きの夜行列車に乗車して今日は美唄に来ました。

---1966年8月7日---

4時36分、空はまだ薄暗い中そろそろ降りる準備をします。まもなく美唄に到着です。
美唄のホ-ムから美唄鉄道の機関区が見え、初めて見た4110のEタンク。
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キハ100形気動車。これは101+102だったと思います。
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D50牽引貨物が煙を吐いて通り過ぎて行きました。流石に函館本線大型の蒸気が頻繁に走
っていました。
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ホ-ムで写真を撮っていたら操車係の方がホ-ムを降りて機関区に行ってもいいと言ってく
れて我々はすごく喜んだ覚えがあります。お陰で美唄機関区に簡単に行けました。
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これから本線で運用に入るので点検している2号機。
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シリンダ-ブロックからボイラ-にかけて大きなカバ-をつけている4122号機。
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9600形の7号と5号が休んでいます。
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美唄鉄道の機関区で撮影していたら機関士の方が「山まで乗っていくかい」と声をかけてく
れました。山とは常盤台駅の事です。荷物を職員の詰め所に預けて、ありがたく4110のキ
ャブに乗せて頂きました。感激です。機関車は4144号機です。
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30分程で終点常盤台に到着。機関士、助士さんにお礼を言ってキャブから飛び降りました。
お陰でいい体験をしました。
常盤台は三菱系の美唄炭山だけあって大きな町だった様な覚えがあります。
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さて添乗は予定外だったので直ぐに美唄に戻らなければなりません。丁度10分後に美唄行
きがありました。機関車は2号機で客車3両を牽引して美唄まで戻りました。
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思わずうれしい添乗と言う飛び入りが入ったので予定が少し遅れました。美唄に到着すると直ぐに
南美唄にいるB6ナスミスウイルソンタンクロコを見に美唄から南美唄まで線路沿いに約2.5㌔ほど
歩いて訪問です。そのあと茶志内のボ-ルトウィン9200を求めて訪問です。
今日は忙しそうです。

続きは次回にお話をします。

では これで。











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(No159)北海道旅行② [北海道旅行夏編(昭和時代)]

早いものでもう6月が終わりですね。明日から7月、真夏到来という気持ちでいっぱい。

前日相模大野の伊勢丹で「おやつイン」と言う便利な粉をカミサンが見つけこれでマドレ-ヌを
作ってくれとの事で、早速午前中マドレ-ヌに挑戦。思ったほど簡単で1時間ほどで出来た。
ついでに蒸しパンにも挑戦、これも簡単に作れました。本当に便利な粉でした。
不ぞろいのマドレ-ヌと蒸しパンですがこれが結構美味い。
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さて
今回も北海道旅行の続きで、黒松内から小樽に行きそこから夜行列車で釧路に行きました。

---1966年8月6日----

前日、小樽から10時間以上かけて釧路に到着です。眠たい目を覚まし目的の機関車8700が居る雄別
埠頭線機関区へと向いました。しかし残念ながら雄別炭山の方に移動したとの事で、我々は急いで釧路
の駅に戻りここから雄別鉄道の雄別炭山行き気動車に飛び乗りました。この年の北海道は冷夏で飛び
乗った気動車には暖房が入っていました。そう言えば長袖のシャツ1枚では寒かった記憶があります。

釧路で初めて見た耐寒耐雪設備のオハネ17、スロハ32から改造されたものらしい。
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雄別鉄道のやまはな駅で列車交換です。
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2連の気動車の最後部に木造客車が付いていました。
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雄別炭山に到着。まさしく炭鉱の町です。山裾には社宅でしょう点々と建ち並んでいます。
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雄別構内で入れ替え作業用のコッペル205が休んでいました。後方は雄別駅です。
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さてお目当ての8700は何処に居るのか探した処、何と機関区の片隅に廃車となっていました。
もう一両居たはずでしたが見当たりません。
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ガッカリしたけど解体されていないだけ良かったかなと思ったかもしれません。折角だから記
念写真を友人から撮ってもらいました。
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ヤ-ドや機関区を探しましたが見当たらず、居たのは101(C56)、C11などが元気に煙を吐い
ていました。
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また休んでいた205コッペルが貨車をチョコチョコと入れ替え作業を始めました。
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どう探してももう一両の8700は見当たりません。機関区の人に聞いたら埠頭の方に行っていると
の事、先ほど埠頭から来たので変だなぁと思ったのですが、とりあえず釧路に戻る事にしました。
駅には混合列車や木造客車が停車していましたが、我々は乗ったのは気動車でした。
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木造客車ナハ11から記念写真を撮ってもらいました。
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その客車の車内です。背もたれ座席はビニ-ル張りだったような気がします。
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再び釧路に戻って雄別埠頭線沿線を探しても見つからないのです。近くにいた繰車係の方に聞くと
何と工場に入場との事。道理で居ない筈、二人で顔を見合わせてガッカリした覚えがあります。
これは埠頭線を走るC11です。
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当時この日はかなり歩き回ったのでさぞかし疲れたと思います。このあとは釧路駅前で夕食それも
ソバ屋で何を食べたのでしょうか。そして風呂屋に行きました。その風呂屋で東京から来たと言うと驚
いていました。まだまだ東京が遠かった時代だったんですね。
釧路駅に戻り18時30分の小樽行きに乗車して明日は美唄鉄道へ訪れます。

では これで。




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(No158)北海道旅行① [北海道旅行夏編(昭和時代)]

今日は朝から冷たい雨です。もう夕方なのにまだ降り続いています。特にやる事も無いので
2006年に撮った箱根登山鉄道湯本~強羅間、往復180分の車窓からの紫陽花ビデオを見て
いました。久しぶりに見ると中々上手く撮ってるわいと自己満足に浸っていました。

さて
今回から昭1966年、和41年8月、夏休みを利用して友人と2人で1週間ほど北海道旅行した
時のお話です。まだ青函連絡船があった時代です。
北海道でのコ-スは1日目は黒松内、寿都鉄道、2日目は雄別鉄道、3日目は美唄、4日目は
追分、真谷地炭鉱の予定で出発いたしました。

---北海道第1日目1966年8月5日---

北海道に渡る前に磐越東線、釜石線、花輪線を訪れてから津軽海峡を渡り初めての北海道
を訪れました。
大きな夜行青函連絡船(何丸だったんだろう)でゆられしばし本土との別れです。函館に着い
たのが6時10分。ここから6時15分発の小樽経由旭川行列車に接続です。牽引はD51だった
と思います。
早朝列車なので行商人のおばさん達がワンサカ乗っており、すでに朝食中でおかずのやりとり
等でたいそうにぎやかな車内でした。そんな中で東京から来た若い我々はどうやり過ごしていた
のでしょうかね。
列車が発車すると私は直ぐに死んだように熟睡していたらしい、ネガを見ると最初のコマがすでに
函館本線の八雲駅でした。そこでD51333貨物列車を撮っていました。
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長万部を過ぎるともう直ぐ目的の寿都鉄道の8100ボ-ルドウィンが居る黒松内です。黒松内駅に
着くと寿都鉄道のダイヤ情報を友人が駅員さんに聞いていました。どうやら2本が運休との事でした
が1本が動いているとの事でした。

もう一つの目的は下りと上りのC62の重連「ていね」です。
まずは上りを狙うために撮影場所を捜して、「ていね」を待ちました。大分遅れていたようで、待った
あげくD51+C62で来ました。当然我々はそれはそれはガッカリしました。
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次の寿都鉄道の8100を期待して、しばらく黒松内近辺で列車を撮って時間を潰すことにしました。

なんと、たった3両の客車を牽引するC623が来ました。これは贅沢な編成。
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上りD51牽引客列車。
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上りD51なめくじ形の貨物列車がゆっくりと来ました。この貨物が通り過ぎたあと、黒松内駅方面を見た
ら煙が立ち上がっているのが見えたので急いで駅に戻りました。
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予定より早く到着したらしく、友人もあせって飛んで来ました。私も走って走ってゼイゼイしながら着
きました。既に8100列車はホ-ムに進入中でした。
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まさか生きているとは思ってもいなかったので感激でした。
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10分間の停車です。その間に8100は旧国鉄線構内に入り貨物の入れ替え作業を行なっていました。
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シリンダ-ブロックがデコボコで、痛々しいですね。生まれは1897 年大分ご老体でしたね。
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片ボギー車のハ6。元は北九州鉄道のガソリンカー。また東武矢板線の蒸機時代にもいたようです。
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夕方4時半下り「ていね」が来る時間、上りの時はD51+C62だったので今度はと期待していたんで
すが、またもやD51+C62でした。
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ただ本務機がC622ではじめて見た輝くツバメマ-クが通り過ぎて行くのが印象的でした。
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一通り今日の目的も終わり明日は釧路まで行き雄別鉄道の訪問です。
黒松内から小樽へ。小樽21時05分発釧路行き夜行列車に乗車。我々はしばらくすると直ぐに眠
ってしまいました。
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次回は雄別鉄道の予定です。

では これで。

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