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(No219)呉線の旅④(広島運転所) [呉線(昭和時代)]

呉線の旅も今回で最後です。広島機関区と言いましたがどうやら広島運転所と思います。
タ-ンティブルは有るのですが、扇形機関庫が無く方向転換された機関車は側線に行き運用順に一列
に並んで待機していました。

広島運転所の職員の詰所はタ-ンテイブル左側の建物です。2階に上がって撮影許可を受けた覚えが
有ります。
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詰所の2階から眺めています。庫が無いと寂しいですね。
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タ-ンテイブルを横切り給炭設備に行くC62が2両つながって来ました。
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給水炭を受けるC62のファ-ストナンバ-。
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お腹を一杯にした蒸気機関車。連結器でつないで整列されています。少し移動する場合はこれらの機
関車が全て動きだします。これは凄いですよ。これから順次運用に出で行きます。しかし、写真は撮り
づらい。
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構内の片隅に芸備線のC58もいました。別に専用の小さな給炭施設もありました。
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ヤ-ドには入れ替え用のC50がせっせと入れ替え作業をしていました。
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少し離れた所には電気機関車の機関区もありEF58やEF61等が休んでいました。
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広島駅です。呉線のC62牽引の糸崎行き普通列車が止まっています。横には試運転の80系がいました。
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広島駅ホ-ムの東側0番線だったと思います。宇品線のキハ04がいました。
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呉線はどうも駆け足だった様な気がします。ネガを見ると3回とも必ず糸崎や広島には寄っているので
すが、そのくせどうしてか写真はあまり撮っていないのです。九州旅行や伯備線撮影の途中に立ち寄
った程度の写真しかないのです。

これで呉線の旅はお仕舞いです。

では これで。
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(No217)呉線の旅③(仁方・安登) [呉線(昭和時代)]

呉線の旅が1966年(昭和41)に2回行っていたと思っていたら、ネガを見ていたらその2年後
1968年(昭和43年)にも訪れていた事が分かりました。40年以上前の事で3回行った事が完
全に忘れていました。という事で今回、呉線の旅は3回訪問した画像も含んでいます。

仁方駅にC62牽引する糸崎行き普通列車が到着しました。ホ-ムの屋根の軒下に付いている
大きなラッパ形のスピ-カが懐かしいです。運動会の時よくこのタイプのスピ-カを取り付けた
もんです。
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仁方から湘南窓のキハユニ15が来ました。でもよく見るとチヨット違うキユニかな?。
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瀬戸内海の美しい風景をバックに、C62牽引の急行「安芸」が来ました。仁方~安芸川尻
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C62牽引の急行「安芸」。場所がよく分かりません。多分仁方~安登間と思います。
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珍しくC59161が補機になってD51と重連で来た客列車。列車名は不明です。安登~安芸川尻
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C59162が引く荷物列車。安登~安浦
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安登駅でD51牽引貨物列車と普通気動車の列車交換。
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広駅にバック運転の列車もありました。C59164が8両程つないだ客車をバック運転で牽引します。
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直立不動で優等列車を見送る駅長さん。広駅にて。今では殆んど見かけませんね。
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朝の通勤時間帯には始発の広駅から広島行く蒸気機関車の通勤列車が結構あって朝の6時~8時
は蒸気天国で楽しんだ思い出がありますが、冬期に行ったので早朝の撮影には苦労しました。

次回は広島機関区です。

では これで。
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(No215)呉線の旅②(小屋浦) [呉線(昭和時代)]

1966年(昭和41年)2月と12月に呉線に訪れた時のお話の続きです。
何時頃小屋浦に着いたのでしょうか2月と12月ともに2回とも同じ時間帯の早朝に小屋浦に到着した様です。

天狗城山辺りから太陽が登ってきます。小屋浦駅が段々明るくなってきます。停まっている糸崎行きの気動
車が広島行きと列車交換です。駅の明かりって旅情がありますね。
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駅構内から瀬戸内海がよく見えます。岡山行きの準急「にしき」が来ました。ポイントを操作するのでしょうか
操作係員の方がいますね。
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準急「にしき」は小屋浦駅を通過、C62と客列車と列車交換です。通学時間帯なのでしょう学生が集まって
きました。
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圧力をあげ黒煙噴出しました。広島行きの出発です。だいぶ空が明けて来ました。オ-ト三輪車が懐かしいで
すね。
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天応方面からC62牽引客列車が来ました。その横で歩いている方と比べると機関車の大きさが判りますね。
しかし、今こんな所を歩いていると大変ですよね。当時はこんな時代でした。
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C59牽引広島行きの客列車を瀬戸内海を入れて撮ろうと思って高台に登り待っていました。しかしまだ太陽が山の影
になって日が当たりませんでした。
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糸崎行きのC62牽引の客列車。空もだいぶ明るくなり瀬戸内海がやっと綺麗に見えました。
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このあとの撮影は、安登~仁方辺りに行っています。次回はこの辺りで撮った画像を予定しています。

では これで。
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(No213)呉線の旅①(糸崎機関区) [呉線(昭和時代)]

今日も「ベイ・ドリ-ム横濱号」が走っていたのですがチヨットした用事でいけません
でした。まぁ、昨日撮ったからいいか。

さて今回から呉線に訪れたお話です。呉線には2回ほど行きました。
訪れた日付は1回目は1966年(昭和41年)2月12日と2回目は同年12月27日です。
目的は多分C62、C59牽引の客列車を撮りに行きたかったと思います。
今回は糸崎機関区に行ったときのお話しです。
糸崎駅から機関区にはどうやっていったのでしょうか全く覚えていません。

機関区の行く道路から、構内のポイントをカタンカタンとなびかせながらC59161牽引の「あき」が糸崎に
到着してきました。
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80系0番代1次型でしょう3枚窓も来ました。中々面白いお顔をしています。
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糸崎機関区の機関車は太陽を背にして休んでいるので正面からは逆光で撮りづらかった覚えがあります。
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C59164がD51262と肩を並べて庫の中で休んでいました。
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ずしんとタ-ンティブルに乗ったC62、流石にでかい。
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もう一台C59196が休んでいました。正面からの写真がありません。多分逆光で正面からは撮らなかった
のでしょう。
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糸崎にあるC50は煙室扉に警戒色に塗られていました。テンダ-には安全マ-クがデカデカと書かれてい
ました。
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先ほど「あき」で牽引してきたC59161が機関区に戻って点検しに来ました。
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そばにはC62が出番を待っています。
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糸崎機関区は1964年4月現在D52、D51、C62、C59、C50の計23両の蒸気機関車がありましたが、私が
訪れた時には、すでにD52は有りませんでした。又C59も13両程有りましたが大分廃車で少なく私が当時
見たのがわずか3両しかいませんでした。

次回は呉線の小屋浦辺りで撮影した画像をアップします。

では これで。





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