(No382)十和田観光鉄道 [鉄道1]
という事でもないのですが、ネタが無いので今回はこの2002年4月27日に鉄友と車で十和田観光電鉄に行った時の三沢駅界隈のビデオスナップをアップしてみました。
全てビデオカメラで撮っていますので画像が悪いのでご了解を。
一見駅らしくないモルタル作りの十和田観光鉄道の駅舎。駅入り口の引き戸が閉まっていたので最初はためらいました。
長年の風雨で風化してしまった十和田観光電鉄の文字が痛々しい。
駅舎入口の磨り減った引き戸。何十万人の手が触ったのでしょうね。私もその1人仲間に入れてもらい、では駅舎の中に入ってみましょう。
重たい引き戸を開けると、昭和の匂いがプンプンしていました。外面とは考え付かない駅舎内光景でした。一番奥の扉を開くと改札口があります。
反対側はテ-ブル付の待合室となっていましたが、それにしては長いすが少ないですね。
おそば屋さんの隣に切符売り場があります。
乗車券自動販売機と書かれた案内看板。自動販売機は当線の切符のみだったような気がします。
その他の切符は隣の切符売り場で購入です。券箱に入った硬券が置いてあります。
三沢駅のポイントコントロ-ルボ-トも設置してありました。JRの連絡線がありますね。
改札口の横にはなんと洗面台が設置してありました。国鉄の蒸気時代の時、列車から乗り換えてくる乗客の為に設置されたのでしょうか。
三沢駅のホームにはクハ3810形が止まっています。
後にはモハ3809形と連結され十和田市駅へ出発して行きました。
県道10号線の高台から三沢駅を望みます。
三沢駅を出ると古牧元湯温泉横をSカ-ブで走る十和田観光電鉄。春に訪れたので桜並木が綺麗でした。(フイルムから)
この時はまだ吊り掛けの電車がワンサカと居ましたが、その1年後には東急のステンレスが導入されて、あっという間に旧型がなくなりました。 この変わり具合には驚きを感じました。思い切って訪れていて良かったと思っています。
では これで。
(No379)日暮里のお立ち台 [鉄道1]
早朝4時起きです。好きな事は目覚ましよりも早く目が覚めます。電チャリで相模大野に行き、当駅始発4時55分の電車で新宿へ、そして山手線日暮里に行きました。土曜日なのでしょうかこんな早々から電車が混雑しています。日暮里には6時10分頃到着です。
当然、予定していた「能登」は間に合いませんので、回送で我慢する事にしていました。跨線橋のお立ち台にはすでに数名の同業者がいました。跨線橋の階段にひな壇の様になっていましたので私はその後で待機です。
最終的には15,6名になっていました。
では撮影順に写真を並べて見ます。
6時16分 ここで最初に撮った「北陸」です。
6時23分 間に合わなかった「能登」の回送が撮れました。
アップすると、可愛そうにボンネットが黒ずんで、あちこちに錆が出て、もう廃車になりそうですね。
6時39分 先ほどの「北陸」も回送してきました。
6時53分 「あけぼの」がきました。
7時03分 これは常磐線の「ス-パひたち」かな。
此処で「カシオペア」と「北斗星」が来るまで大分時間が有りますので時間つぶしに京成を探索しました。5分程歩くと切り通しの場所にでました。先には上野公園の下を走るトンネルが有りました。このトンネルの容がなんとも古めかしいく扁額には「東臺門」と書かれた文字が何ともいえないですね。
京成は、初めてなので車輌形式が全く分からず来た電車はとりあえず撮っていました。来た電車の中では、特にこの3300形と3500形はまだ幕式の表示でいいですね。
9時ごろまでこの界隈をぶらついて、再び跨線橋に戻ると、あれだけいた同業者がもう1人しかいませでした。
9時20分頃来る予定の「カシオペア」を待っていましたが来ないのでもう一度確認したら今日は来ない日だったようでした。
9時34分 赤い電気機関車EF81牽引の「北斗星」が姿を現しました。
帰る支度をしていたら、「あかぎ」も来たので、急いでカメラを取り出して撮りました。
時間はまだ10時前、今日は朝の4時からの行動でしたので午前中がとても長く感じました。これで予定していた列車を撮り終えたのでこれから自宅に帰ります。
家には11時45分に着きました。まだ午前中です。朝が早かったのでお昼を食べたら急に眠くなって1時間くらい寝てました。
これらの寝台列車を、いつもの鉄友と来週の火曜日26日に前泊して熊谷辺りと蓮田辺りで撮る予定です。朝5時台なので天候が気になります。
では これで。
(No369)岳南鉄道 [鉄道1]
岳南鉄道は全線9.2㌔で所要時間はわずか20分の小さな鉄道です。吉原駅を出ると線路は大きく右に180度カ-ブしながら工場地帯の中を走ります。そして風景が一変して今度は住宅地帯を5㌔程走ると終着駅の岳南江尾駅に到着です。180度Uタ-ンの線路配置なので機関庫がある岳南富士岡駅から吉原駅を直進でわずか2㌔程度しかありません。
東海道本線吉原駅ホ-ムからは両運転台に改造された7000形(元井の頭線3000形)の二代目赤がえるが停車していました。
岳南鉄道連絡跨線橋の階段上り口には岳南鉄道の大きい時刻表が有りました。何か感じがいいなぁ。
跨線橋を渡りと岳南鉄道の駅舎と改札口に出ます。まさに地方鉄道の駅そのものといった雰囲気です。ここで1日乗車券を購入。
岳南鉄道の吉原駅ホ-ムには赤がえるの7000形とED402(旧松本電鉄)が停まっていました。
まずはロケハンをかねてビデオを吉原駅から岳南江尾駅まで約20分間、運転台の後から回しっぱなしで終点の岳南江尾駅まで録画しました。終点岳南江尾駅は、静かな無人駅です。
赤がえるが静かに休んでいます。時折対照的な新幹線がもの凄い勢いで通り過ぎます。
うまい具合に赤青のかえるが並びました。二代目の青がえるには今は愛称を「がくちゃん かぐや富士」となってヘッドマ-クが付いています。
このがくちゃんに乗って庫がある岳南富士岡駅に行って見ました。
ED403が休んでいます。今ではこの機関車は赤い車体に再塗装されているようです。
ヤ-ドにはすでに使用されていない一代目の赤がえる元東急の5000形と休車ED291が留置されていました。
富士山が綺麗に顔を出しているので岳南富士岡駅から神谷駅の2駅を歩いて富士山をバックに撮影をしました。
がくちゃんを富士をバックに撮りました。これも元井の頭線3000形を2両編成に改造したものです。
岳南富士岡~須津。
雄大な富士の裾野まで入れて撮って見ました。流石に富士山は大きい。手前の川は赤淵川です。
島ホ-ムの須津駅に来ました。電車が来るまで待って駅と富士山を入れて見ました。赤がえるが到着です。
もう一駅先の神谷駅まで歩きます。この須津川を渡ると大きく右にカ-ブして神谷駅に着きます。もうだいぶ富士山に雲がかかってきましたが何とか山頂が見えます。バックの高いコンクリ-トの橋げたは第二東名でしょうかね。
帰りは神谷駅から赤がえるに乗って吉原駅に戻りました。
吉原のヤ-ドにED402が停まっていました。本線は一番左側を走っていきます。
ヤ-ドを右に見ながら終点吉原駅には14時10分到着です。東海道本線のホ-ムも見えてきました。
わずか9㌔程度の小さな鉄道岳南鉄道に8時~14時まで8時間かけて遊び、天気もよく富士山も眺められて最高でした。
また何時か訪れて今度は機関車が引く貨物列車を狙いたいと思っていましたが、すでに思っている内に5年も過ぎてしまいました。何時行けるやら‥‥。
では これで。
(No368)雨の富士急行 [鉄道1]
大月に行く列車は高尾始発10時18分の小淵沢行きという事で、集合は高尾駅ホ-ムの前の方としました。早く来た者が列車の席を確保する事と決めてました。
さて、
私は、横浜線で八王子経由高尾に行きます。八王子に着いたのが9時30分、高尾始発の時間まで1時間前も有るのでどうしょうかなと考えながら中央線ホ-ムの階段を降りていくとベンチで美味しそうにおにぎりを食べている何処かで見たようなおじさんがいるなぁと思ったら何と鉄友でした。どうやら彼とは横浜線の電車が一緒だったらしい。私は始めて見た6ドァの横浜線の電車を撮っていたのでその分送れて中央線ホ-ムに行きました。
6扉の車輌は混雑時は乗り降りがスピ-デイかもしれませんが空いていると冷たい風がよく入り寒いですね。
八王子から高尾に行く時、運良く215系のホリデ-快速ビュ-「やまなし号」が来ました。当然2階の座席に座ります。そうだこれに乗って大月に行けは良いのではという事でもう1人に電話するとまだ京王線の北野という事で仕方なく集合場所の高尾に下車しました。
結局予定通りの高尾発10時18分小淵沢行きの列車を待つことにしました。列車はスカ色の115系。大月まで約45分座席は久しぶりのクロスシ-ト、車窓からは新緑の山々を見ながらの楽しい小旅行です。
高尾では殆んど雨が降っていなかったのが、大月に着くと本降りとなっていました。鉄友の1人が富士急行の撮影場所をあらかじめ調べていたのですがこの雨なので、タクシ-で行く事にしました。場所は大月から二駅の田野倉です。
駅舎はバイオレット色の屋根の白い建物で有人駅でした。委託でしょうか、おばさんが居ました。
大月からタクシ-で田野倉~上大月間の撮影場所に到着しました。ここで目的のスカ色の115系を撮ります。
傘を片手に持っての撮影です。私のレンズはオ-トフォ-カスでないのでピントを合わせながらの撮影です。
115系が来る前に大月から富士急行のリバイバル塗装車1000系(元京王線5000系)がきました。
田野倉で列車交換してきたスカ色115系を雨の中何とか撮りました。
撮り終えて田野倉駅まで雨の中歩く事10分、バスもある事はあるのですが何と1日たったの2本話しになりません。
この後は一様予定していた三つ峠駅に行く事にしました。峠という駅名なのでさぞかし山あいの中かなと思っていたら特にこれと言った風景でなくボ-センとしました。でも駅前は地方鉄道の雰囲気がまだ残っていました。
人通りの無い駅前には休憩所とお土産屋そしてそば屋も有りました。
次の駅、寿駅間に撮影場所がある様なのですがこの雨では1.5㌔も歩くのも大変なので、駅近くで撮影できる場所を探さなければせっかく来た意味がありません。ホ-ムから富士吉田方面を見るとうまい具合に小さな人道踏切が見えましたのでそこに行って見ました。
踏切から見た三つ峠駅です。どう見ても峠と言う雰囲気でないですねぇ。
さて、ここで何時間も居てもしょうがないので、先ほどの田野倉~上大月の間でタクシ-に乗っているときにロケハンしていた場所に行って見ることにしました。
三つ峠始発の大月行きに乗ってロケハンしながら行きます。二つ目の駅に差し掛かると雨に濡れた新緑の小高い山々が迫っていい雰囲気の駅に到着しました。そこは無人駅の十日市場という駅。どうしょう、どうしょうかと悩みながら思い切って降りました。これが正解でした。ホ-ムの両端からでも中々いい感じで撮れ雨も小さな待合室もあるので助かります。
赤の色分けした1000形が到着です。黄色の超目立つ傘をさしているのは鉄友です。
大月側では中々のロケ-ションで桂川に鉄橋が架かっています。オリジナル車の5000形ト-マスランド号が渡って来ました。
ト-マスの絵が室内まで描かれているのには参りました。
本命の国鉄色の189系ホリデ-快速が富士吉田方面から来ました。単線でいい雰囲気です。しかし、運転士から見るとこの狭いホ-ムの端に爺さん三人が団子状に傘をさして撮っている姿はきっとコッケイでしょうね。
十日市場に停車します。6両編成なので後方3両程ホ-ムからはみ出していました。
帰りは15時52分大月行きに乗り中央線大月16時40分頃の普通立川行きに乗りました。電車は連休最後でしたがそれほど混雑も無く八王子に到着です。もちろん反省会をこの八王子で楽しみ21時頃解散しました。
1日中雨でしたが、濡れながらの辛い撮影ですが、これはこれで楽しい思い出となりました。
では これで。
(No345)琴電長尾線の大正生まれの電車 [鉄道1]
さて、今日は2005年5月3~5日のゴ-ルデンウィ-クに琴電長尾線に走る大正生まれの古典電車と志度線の元京急の30形を見に行きました。今回は長尾線で活躍していた大正生まれの電車をアップします。
早朝7時高松築港駅に後に700形をつなげた300形が停まっていました。通勤時にはこの大正生まれの300形がついて3両編成で走っていました。
狭い運転席。背の高い若い運転士は横すわりで運転をしていました。
指差し確認をとらえてみました。
計器類はスピ-ドメ-タと圧力計しか見えません。でもこれで結構なスピ-ドで走っていました。
長い年月に絶えた木製の雨どいが痛々しいです。
この古典電車はこの様な場所が似合いますね。学園通り~白山
これら大正生まれの電車はイベント車輌として保存されているようです。
初めてみた時には何となく小田急線にあった1200形や1400形を思い出し、懐かしい気持ちになりました。
では 今日はこれで。その内 志度線の30形もアップしたいと思います。
(No337)上毛電気鉄道・両毛線② [鉄道1]
---2009年3月15日(日)---
13時、両毛線駒形~伊勢崎にある第二奥原前踏切付近に来ました。上毛電気鉄道のお祭り騒ぎに比べてここは静かな場所です。それでも同業者が1人寂しくいました。
10分程待つと駒形から待望の115系が来ました。真っ青な空に湘南色がよく似合います。
ここにも211系が入っていたのですね。第二奥原前踏切からの撮影です。
やっぱり115系の湘南色は温かみがあっていいですね。同じ第二奥原前踏切からの撮影です。
駒形方面の後追いです。バックの高々とそびえ立つ山は上越の山麓です。
107系は初めての撮影です。2両1編成でこれは4両編成で来ました。
やはり湘南色と菜の花よく似合いますね。久しぶりに見た湘南色がさえて見えたことはありませんでした。115まだ数編成が走っているようです。頑張って続けていて欲しいと思います。
さて、東京に帰る時間になりました。いつもの事で我々お爺さん3人組みの記念撮影です。
帰りの関越道から真っ白な浅間山をみたら今まで煙を出していなかった山頂からは白煙が出ていました。
井の頭線東松原に18時に戻って来ました。この後は当然の如くいつもの「庄や」で反省会をして21時45分
解散いたしました。
快晴の1日、楽しい撮影会でした。
では これで。
(No335)銚子電鉄澪つくし号 [鉄道1]
行きませでした。
で、特に意味は無いのですが今日は銚子電鉄の「澪つくし号」の画像をアップしました。
「澪つくし号」はワムをを改造したオープン遊覧車で、銚子電鉄がデレビドラマ「澪つくし」の舞台となったこと
から名付けられました。が、今は安全基準の関係で運転を見合わせている様で動いていませんね。
デハ801に牽引されたオ-プン遊覧車「澪つくし号」が来ました。
そして犬吠崎灯台を入れて撮影です。ここは銚子電鉄沿線で有名なお立ち台です。灯台の左下のほうにチラ
っと海が見えるのですがもっと見えるといいですね。
外川駅から「澪つくし号」に乗ってビデオを回しながら銚子まで行きました。乗り心地は言うまでもありません。
何てったって貨車ですので。
オ-プンなので真夏でも涼しい風が入って気持ちがいいでした。電車に乗るか、是に乗るかは自由です。
また、復活するといいですね。
明日は車で上毛電機鉄道と両毛線にいつもの鉄友3人で行く予定です。明日の天気はたぶん快晴でしょう。
では、今日はこれで。(3/14)
(No251)わたらせ渓谷鉄道 [鉄道1]
鉄道も訪れましたので今回はそのわたらせ渓谷鉄道のお話です。
---2007年9月12日---
鉄友宅から車で上毛電気鉄道の大胡駅に着いたのは9時頃。大胡駅構内に停まっていたデハ
101と動かないですが黄色に塗り直されたデハ104と駅近辺で700形を撮り終えて11時00分頃
わたらせ渓谷鉄道へと、車を走らせました。朝天候が悪かったのがやっと太陽が出できました。
渡良瀬川に沿って鉄道と国道122号が渡良瀬渓谷を走ります。渡良瀬川は昨日の雨で増水し
て流れが濁流し綺麗ではありません。
何処で撮ろうかと国道122号線を走りながらのロケハンです。途中感じのいい場所も有ったので
すが車の止める場所も無いのであきらめたりしながら、渡良瀬川の上流へと車は走ります。
そうこうしている間に列車が来る時間になってしまいました。もともと本数の少ない路線なのでこ
れを逃すと1時間待たなければなりません。丁度国道122号から川岸の方向に下りる道路があっ
たので下ると踏み切りに出ました。もう時間がないのでここで撮る事にしました。どうやらこの道
路は、銅街道と呼ばれているらしい。
水沼~花輪間で下り間藤行き、わ89-100形の101「こうしん」が来ました。
。
左の川が増水している渡良瀬川何ですが‥‥。
この場所でビデオを撮っていたらレンズの所に赤トンボがとまって羽を休めていました。撮影には
影響もないのでそのままにしておきました。
国道122号線から横にはいった線路沿いの道路を走ります。途中で花輪駅を車の中から見学。
真新しい料理屋さんみたいな駅舎でした。更に先に行くと中野駅に来ました。
生茂った森の中から桐生行き わ89-310形の「わたらせⅡ」がきました。
平成元年に開業された比較的に新しい駅。渡良瀬川で釣りをする人の中では知られる場所だそ
うです。
駅出口の踏切横にあるバンガロ-風の建物は何ぞやと思って覗いたらこの駅のトイレでした。
再び国道122号線に戻り神戸駅に行く事にしました。東海道本線の「神戸」と間違わない様にと
以前の駅名は「神土」と書かれていたらしい。
14時27分。藤間から わ89-100形の「こうしん」が到着です。
4分後に下り線に わ89-200形「あづま」が到着です。ここで列車交換です。桐生行きは5分停車、
藤間行きは11分停車です。まぁ、のんびりしています。今は閑散としていますがシ-ズンになると
観光客で一杯になるのでしょうね。
構内踏み切りは無く、屋根の無い跨線橋で線路を渡ります。14時42分、藤間行きの発車です
さて、わたらせ渓谷鉄道の撮影もこれで終了です。この後は車を飛ばし長野で一泊して長野電
鉄の撮影に行きました。
では これで。
(No200)三岐鉄道北勢線 [鉄道1]
今回はその旅行1日目のお話です。
関西方面に行くのだから途中下車し、2度目の三岐鉄道北勢線による事にしました。
北勢線は2004年12月29日に初めて訪れていましたが、あいにくの雨で撮影が全く出来ませんでした。
今回は天候も良さそうなので是非訪れたいと思った次第です。
スケジュ-ルは小田原から臨時快速「ム-ンライトながら91」で名古屋へ、関西本線で桑名に、そして
西桑名から出ている三岐鉄道北勢線に行きました。
臨時快速「ム-ンライトながら91」は183系で古い昔の特急に使われていた車輌で、昭和の香りがムン
ムンして懐かしかったです。
定期の「ム-ンライトながら」と追いついたり離されたり、結局は臨時「ム-ンライトながら91」が名古屋に
先に到着します。
豊橋で同じホ-ムに停車しました。そして先に臨時「ム-ンライトながら91」が発車します。
当時私は右股関節を痛めており、歩くと少し辛いので三脚やバックをキャリ-に乗せて行動しました。
これがまた思ったより軽快で、一応登山用のステッキを持って行きましたが結局全然使用しなくて済
みました。しかし痛いことは痛いのですが、まぁ何とか歩けました。
---2005年5月3日---
桑名には夜行列車を利用りた事で6時半頃には到着しました。三岐鉄道北勢線の西桑名駅は、ほん
の少し離れていました。
歩道から西桑名駅のホ-ムが覗けます。丁度近鉄カラ-の143が止まっていましたので出発すると
ころをビデオも撮りました。
西桑名6時55分発で上笠田に行きます。西桑名から上笠田の一つ手前の駅、楚原まで運転席の後から
走行ビデオを撮りながらロケハンしました。
上笠田には7時42分到着。この上笠田駅はこの後廃駅となってしまいました。残念な事にこの駅の写真を
撮っていないのです。
10分程楚原方面に歩くと、かの有名なめがね橋が見えました。水田に水が入っていて風が無いので水面が
カガミのように風景が写っています。電車が来るまでこの状態が続いてくれとお願いしていました。
見事に希望どうりになりました。ゆっくりと走る黄色の車体が水面に写りとても綺麗でした。
天候もよく無風状態だったので、めがね橋も水田に綺麗に写り丸いめがねになりました。
しかし10時過ぎになると風が少しで出来ました。水面がさざ波が出てきて、カガミの様に写らなくなりました。
めがね橋を後にして楚原方面に歩きはじめました。楚原までは登り坂で股関節を痛めている私にとってはチト
辛かった。
ここからめがね橋へ25パ-ミルの坂を下っていくク200形。何となくアライグマに似ているような気がしますが。
楚原の駅から大泉方面を長ダマで撮るとジェットコ-スタと思われる様な坂となって写る所があります。見てい
ても中々面白い。
この後は楚原から馬道まで乗車して、馬道付近で撮影そして西桑名まで歩き、西桑名付近の踏み切りでついで
に近鉄も撮りました。そして名古屋に出で新幹線で岡山に行きマリンライナ-で四国に渡りました。
西桑名6時半頃着いて北勢線を午前中一杯撮影して、その日のうちに四国の琴電瓦町のホテルに18時半に到着
です。新幹線の威力ですね。
では これで。
(No183)明日から旅行 [鉄道1]
高岡辺りまで旅行してきます。
ですが、
北陸地方が集中豪雨で少し心配です。
大糸線は残雪が残る4月に一度訪れています。今回は深緑の山々となるでしょうね。
北陸本線の高岡は初めて、氷見線も楽しみです
という事で7月はこれでお仕舞いです。
では これで。
(No85) サクラと鉄道⑤(十和田観光鉄道) [鉄道1]
今日の予定は座間のサクラを見に行く予定でしたが天候もよくないし寒いし行くのをやめました。
夕方からは雨になり行かなくて良かったなぁと思っています。
さて今日は十和田観光鉄道のサクラのです。
東北本線三沢駅と十和田市とを結ぶ14.7km。三沢にある古牧温泉の脇を出ると田園風景の中を
十和田市まで通勤通学路線として地元の足として利用されています。春になると古牧温泉辺りと
北里大学前~十和田市間のサクラが綺麗ですね。終点の十和田市駅は百貨店もあり町の中心と
なっています。
--2002年4月27日--
三沢駅を出ると、すぐに古牧温泉の横をサクラを見ながら右左と急カ-ブをゆっくりと走ります。
まだ東急のステンレス車輌が入っていない時です。
--2003年4月27日--
旧車両のイベント運転を行なっているとの事で1年後にもう一度訪れました。
旧車両の運転はサクラ並木の十和田市~北里大学前間をユックリとした速度で走りました。
北里大学前~工業高校前間。
定期の運転は全て譲渡された東急のステンレス車輌になっていました。
1年後に再度訪問したのは友人が旧車輌のグッツがイベントで販売しているので購入したいとの事で
行きました。
2002年4月に訪れた後、半年位後に車輌を全面的に入れ替えるという情報が入り驚きました。
車輌を入れ替える前に訪問しておいて本当に良かったなぁ-と思った次第です。
昭和39年頃の御殿場線。岩波駅のスイッチバツクです。
では これで。
八高線(浅川・多摩川)② [鉄道1]
早いでものです正月を迎えて1ヶ月、もう2月になりましたね。私がブログを初めてもう1ヶ月ちょい。いつも1日遅れ、でもまっ何とか続けていきたいと思いますが‥‥。
さて、
昨日の続きの八高線です。
2006年10月7日は浅川に訪れました。今回は21日に多摩川へ行った画像です。
多摩川に訪れた理由は浅川に行ったのだから近くに流れている多摩川も行ってみるか、との安易な考えなんです。
横浜線で八王子駅。八高線へ乗り換え。小宮駅までは近いので先頭車の運転席の後ろで出発を待ちます。
浅川の鉄橋を渡り少し登り坂を進むと北八王子に着きます。浅川は7日と違い水量も少なく、いつものおとなしい流れでした。
北八王子駅 八高線八王子ホ-ムの使用が1つなのでこの北八王子駅又は小宮駅で列車交換をしています。北八王子の次が小宮です。
小宮駅 この駅で下車。出来るだけ線路に沿った道を探しながら多摩川まで歩きました。駅は、まぁこんな感じです。手前が八王子方面です。
歩いて5分ほどに小さな踏切りが見えましたので寄ってみました。撮り易く場所もいい感じなので、1本撮ることにしました。
市街道路を歩くこと20分程で小宮八石陸橋という八高線の上を跨いでる道路に出ます。陸橋の下に降りられる道らしい小道が有ったので少し降りた場所で撮影。まだ電化していない時代、この辺りの場所はお立ち台となっていたみたいで、今でも同じように見られるのか心配でしたが、今でも多摩川を渡る八高線が一望出来ました。
線路を挟んている公園みたいな林は八王子水再生センタ-です。写真には写っていませんが敷地内に3階建て位の平べったいビルが細長く建っています。
陸橋の柱に描かれていた似顔絵。ある人物にそっくりですね。落書きにしては、上出来です。
さて、多摩川の土手までは目の前。と思い下におり道路に出ましたが、土手に行く線路沿いの道が無いのです。ひょっとしてこの広い水再生センタ-を迂回して行くのかと思うと何で!とため息き。ブツブツいってもしょうがないので、迂回覚悟で歩き始めました。こおゆうのって疲れがドッと出ますね。
道なりに歩くこと5分程度、先ほどの陸橋の道路と合流しましたが水再生センタ-は、まだ中間位。ヤレヤレと思ってると、このビルの屋上に車も行けそうな道路が有り、特に立ち入り禁止も無いので行ってみる事にしました。駐車場かなぁ-と思っていると、
屋上は、何と広々した草原になっている公園でした。近所の人達がバ-ベキュ-やボ-ル遊びなどして楽しんでいました。屋上を公園にして市民に利用して頂くなんて良いじゃありませんか。
まっ、これはいいとして土手に行かなければと公園を見渡すと、何と土手に下りられる階段を発見。
お蔭様で半分以下の迂回で土手に着きました。ほっと一息。
やっと土手に着き鉄橋脇にたどり着きました。向こうの土手に多摩緑地くじら運動公園が見えます
川越行きが来ました。川越まで直通が出来て便利になりましたね。
左右の林は水再生センタ-。先ほどの陸橋下からの一望した画像は左側に写っている橋の下から撮ったものです。ここは多摩川の土手から撮っています。
日野用水堰付近では、市街地で豊かな自然がこんなに残っている所が少ないため、自然学習コースとなっているそうです。八高線の鉄橋から5分くらい上流です。
綺麗に整備されてる多摩川の土手を見ながら八高線の電車が通ります。土手が変に舗装されていない方が自然で私はいいと思いますね。
河原ではラジコン飛行機を飛ばしているグル-プがいました。電車待ちの時間つぶしに丁度良い物が見られ、これが結構面白い。
2時間程居ましたが、あっという間の楽しい2時間を過ごしました。そろそろ帰らなければ自宅に着くのが遅くなります。
では これで
八高線(浅川と多摩川)① [鉄道1]
今回は東京の八王子市に流れる浅川と昭島市に流れる多摩川を渡っている八高線に行った時の画像です。時は2006年10月7日と21日に訪問しました。
車輌は4両編成の209系で半ドァ-の寒冷仕様との事です。
7日は浅川、21日は多摩川です。浅川は八王子から徒歩で20分程。多摩川も小宮駅から徒歩20分程です。まずは7日に訪れた浅川の画像からです。
八高線は、八王子駅を出ると右手に中央線を見ながら左に大きくカ-ブすると多摩川の支流浅川を渡ります。画像は浅川の土手の踏切りから撮っています。左の林は公園になって、園内からは思うような撮影するような所が無かったです。
土手沿いの道路は抜け道なのか狭い割には、結構車の往来があります。
昨日は大雨で、今日は嘘のように快晴になりましたが、浅川の水量が多く,濁っていました。
左方面が八王子です。
彼方に見える山々は秩父連山と手前は奥多摩辺りと思います。
浅川を渡ると八王子の中心街へと入っていきます。彼方には左側から丹沢山麓、高尾、陣場辺りでしょうか、幾つかの山々が見えています。
大分、川の水量が減っていましたが、増水で草木が所々倒れていました。10月の中旬一雨毎に空が何となく秋の気配がしていました。
浅川橋を渡って八王子へと向かう209系。
ここから下流に800m位に中央線も浅川を渡っています。八高線の電車を待っている間に、時折201系、E233系、「あずさ」「かいじ」のE233系、EF64が引く貨物列車などが渡っているのが見えます。
どうも気になりここは2時間程で撤退して、中央線へと場所を変えました。さすがに八高線と違い列車本数が多いですね。
この日は、この後京王線の京王八王子駅付近の踏切りで少し撮って帰宅しました。
今日はここまでです。では、明日続きを。
日立電鉄その2 [鉄道1]
昨日の続きで2005年3月12日に行った2回目の日立電鉄の写真です。今回は残念ながら旧塗装の3000形が動いてなく、一緒に行った友人が残念がっていました。私もそう思いましたよ。
ところで、今月でもう廃線と土曜日という事もあって終着駅常北大田の駅にはかなりの人が出ていました。
常北大田駅に沿線の幼稚園から「77年間ありがとう」と書かれたア-トトレインからは、続々と乗客が降りてきました。(ビデオからの画像です)
常北大田駅の駅名票の絵柄です。
この日は臨時「呑電日立号」が走っていて、何処かの幼稚園が貸切で乗っていました。呑電だから道理で、みんなホッペが赤くなって、とても気持ちよさそうだぞ。
日立電鉄の駅本屋 駅待合室は人で混雑していましたが、何か暗かったなぁ-。
近くには道路を挟んで水郡線の終着駅常陸大田駅がありますね。ホ-ムには今は走っていないキハ110系が停車していました。現在はキハE130系と思います。
川中子~常陸岡田 上2枚の写真は日立電鉄沿線の中では結構いい感じの所を走っていて、私は気に入っていました。
電車を待っていると線路下の田んぼにダイサギ(違っていたらごめんなさい)が舞い降りてきました。ソロリソロリと水面を歩きエサを探していました。でも電車が来たら飛び去って行ってしまいました。ガッカリ
前回と同じ場所、大橋にまた来てしまいました。こうやって眺めると民家の庭先に鉄橋があるみたいですね。
南高野駅を後にしてア-トトレインが久慈浜方面へ。この駅を最後に日立電鉄を後にして次の目的地鹿島鉄道に行きました。
最後に古い写真を1枚。
私の友人が1959年に鮎川駅で撮った写真です。モハ16でしょうか、気動車の改造らしい。集電装置がビュ-ゲルですね。走りぷりはロ-リングとピツチングがひどく立っていられなかったとの事です。線路状態も悪かったかも知れませんね。
もう見ることも無い日立電鉄、寂しいですね。
では これで
日立電鉄その1 [鉄道1]
今日は、2005年3月31日に廃線になった日立電鉄のお話です。
日立電鉄は2回訪問しました。1回目は2003年6月。2回目は2005年3月です。1回目は日立に住んでいる友人宅に前泊し、当然のことながら小宴会。6月は梅雨の時期、案の定当日しっかりと雨になってしまいました。おまけに飲み過ぎで体調悪し。まぁ沿線の案内は地元の彼に任せて、雨にもめげずに出発。車ですから何とかなります。
2回目はいつもの友人が廃線になる前に一度行きたいとの事でこれも車で出かけました。
で、今回は1回目の時の写真を見てください。
雨なのでとりあえず終点鮎川駅を見に行くことにしました。すると偶然にも旧塗装になった3000形がのんびりと到着しました。又、常磐線がすぐ隣に通っていて651系の「ス-パ-ひたち」が、どえらいスピ-トで通過して行きました。
終点なので、それなりの何かを期待をしていたのですが特に終着駅といった感じがしませんでした。
旧塗装3000形のが出発を見とどけてから、違う駅に行く事にしました。
大沼駅に来ました。ホ-ムの屋根の柱に花が飾られた小奇麗な駅でした。
大沼から水木方面は登り坂になっていました。かなり登っていますね。
大橋~川中子間に大橋駅を出ると300m位の長い鉄橋が有名でしたね。電車はこの鉄橋を渡る時、下の民家に鉄橋音を配慮してたのか、えらくゆっくりと走っていた様な気がしました。で、この鉄橋の意味は何で作ったのでしょうかね。
日立電鉄の駅名票には駅毎に色々な絵が描かれていました。
雨も小降りになりました。川中子駅を出て大橋へ向かう旧塗装3000形
折り返しに川中子駅に現役色の3000形が来ました。
雨も上がり、最後に水田の中を走る旧塗装3000形を撮影しました。川中子駅付近にて
帰りは、ここから常磐自動車道の日立南太田ICに乗り小田急線の世田谷代田まで送ってもらい、小田急相模原の自宅に着いたのが23時過ぎていました。いや-疲れました。
明日は2回目の訪れた日立電鉄のお話です。
では これで