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(No89) 中部・関西旅行その9(姨捨・桑ノ原信) [関西旅行1(昭和時代)]

今日は中部・関西旅行1(昭和時代)の最後の目的地姨捨と桑ノ原信号場です。
前日は梅小路機関区から京都、そして東海道本線で名古屋に来ました。
時は昭和40年12月22日です。
名古屋23時55分発準急「きそ」で松本4時57分に到着。そして篠ノ井線で姨捨に向かいました。
姨捨には9時40分に到着。
[カメラ]
桑ノ原信号場を過ぎると棚田の風景と善光寺平が眼下に広がり始めます。
桑ノ原信号場から蒸気機関車の煙が何時までも見えていました。
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右上に姨捨のホ-ムが見えてくると、姨捨駅構内の引き上げ線に入りスイッチバックをして姨捨駅に到着します。
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列車交換すると再び最後のスイッチバックの羽尾信号場へと登っていきます。一度泊まったことがある右の旅館
「青木屋」は今はありません。
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善光寺平をバックにDD51客列車が通過して行きました。
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写真中央に棚田のあぜ道に立っているのは友人です。
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姨捨から桑ノ原方面に探索しながら行きました。当時ここに信号場があるのを知りませんでした。
姨捨側と稲荷山側からみました。
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本線に急行「第1しなの」が追い越していきました。
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急行「第一しなの」を追いかけるようにDD51とD51の重連客列車が稲荷山へと下って行きました。
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姨捨に夕暮れが訪れました。D51の重連貨物が入線してきました。出発前に機関助士がテンダ-に
登り石炭を均していました。
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辺りはだいぶ暗くなり善光寺平に灯がともりました。現在の夜景の明るさに比べると当時の夜景は
この程度でした。
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帰りの列車は姨捨19時09発の新宿行き夜行列車に乗車し新宿には早朝23日の4時27分に着きました。
貧乏学生に便利な夜行列車は中央東線にもあり金銭的にも助かりました。
これで中部・関西旅行1(昭和時代)が終わりました。ご笑覧頂きましてありがとうございます。

[猫]
廃校。小学校時代はこの様な校舎でした。この画像は東京の秋川か五日市辺りと思いますが忘れました。おまけ01.jpg


では これで。


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(No86) 中部・関西旅行その8(丹波口までの車窓と梅小路機関区) [関西旅行1(昭和時代)]

午前中まだ冷たい雨が降っていて、今日も一日中家でくすぶっているのかなぁなど
思っていましたところ、午後から晴れてきました。早々電動自転車で座間のサクラを
見に行きました。サクラはほぼ満開になっており、有名なお立ち台には同業者が10
人程いました。
1時間ほど相武台前~座間のサクラ並木をウロウロして帰りました。
帰りは結構寒くハンドルを持つ手が冷たかったこと。
[ドコモポイント]

さて、
前回は和田山支区の訪問でした。今回は和田山から山陰本線に乗って丹波口までの
車窓と梅小路機関区の画像です。

--時は昭和40年12月21日--
和田山駅を11時11分発の普通列車で丹波口までを車窓で。
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立木駅
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和知駅で急行「白兎」に追い越されました。
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DF50牽引客列車と列車交換。ウ-ン何処の駅かなぁ-。
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嵯峨駅
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二条駅
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丹波口駅15時07分に到着しました。
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梅小路機関区にはC51を見たかったのですが既に解体されたのか見当たりませんでした。
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片隅にC51265とC51225と書かれた2つのスノ-プラウが寂しく置いてありました。
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梅小路機関区の給炭装置は立派でしたね。
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C5793キャブの出っ張った窓と長いひさしが面白い。
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定年を迎えたのでしょうか。機関士が8620と記念写真を撮っていました。
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DD51が入線していました。DD51の講習で、職員の方が熱心に聴いていました。
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梅小路機関区にはC51が目的でした。廃車の状態でも良かったのに見れなかったのには
ガッカリしました。
この後は京都から東海道本線で名古屋へ、名古屋23時55分準急「きそ」で松本4時57分到着。
そして篠ノ井線の姨捨に訪問しています。
次回は旅行最後の訪問地、姨捨の画像を予定しています。

[猫]
青空に赤、ピンク、白などの春の花色がよく似合いますおまけ02.jpg


では これで。







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(No74)中部・関西旅行その7(和田山) [関西旅行1(昭和時代)]

今日は暖かい気候になりました。春がそこまで来ているが如く近所の畑には春を代表するホトケノザが一面に咲いていました。
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さて、
今日は、中部・関西旅行その6からの続きです。時は昭和40年12月21日です。

濃霧の福知山機関区を後にした我々は綾部を経由し山陰本線で和田山まで足を延ばしました。天候は嘘のように快晴になりました。
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和田山支区にはC55を見に行く予定でしたが既に移動されており、C57が配属されていました。
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庫は煉瓦造機関庫、そして砂を補給する給砂設備です。煉瓦造機関庫と給水塔は今でも有るようですね。
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機関区設備は比較的コンパクトの作りでした。C57が給炭、給水中に点検作業していました。
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何か懐かしいベルトコンベァ-で給炭していました。当時道路工事などこのベルトコンベァ-をい幾つもつなげて工事をしていたのを思い出します。
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駅構内にD51が牽引する貨物列車が到着しました。
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播但線和田山始発の姫路行きが待機していました。
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上り列車を待っているときに、DF50が重連で下りの普通列車が到着しました。ホ-ムには台八車に沢山の荷物が置いてありますね。
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天候に恵まれた和田山支区の見学を終わり次は山陰本線の丹波口まで行き梅小路機関区を見学います。

次回は丹波口までの車窓風景と梅小路機関区の画像を予定しています。

では これで。




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(No71)中部・関西旅行その6(霧の福知山機関区) [関西旅行1(昭和時代)]

中部・関西旅行その6
その5からの続きです。
糸魚川17時50分発の列車に乗車して敦賀に到着は21時08分、糸魚川の待合室よりもこちらの待合室の方が暖かかったような気がします。今夜は敦賀の駅の待合室で1泊です。結構待合室が混雑していましたが流石に早朝までいた人は数人程でした。小浜線の4時52分始発までここでお休みです。
という事で今日は敦賀からの続きです。
時は昭和40年12月21日です。
今日は霧の福知山機関区の画像をアップしたいと思います。
敦賀から小浜線の始発4時52分で東舞鶴まで行き、舞鶴線に乗り換えて山陰本線乗り入れの列車で福知山に行きました。到着は8時12分です。
朝もやの中D51牽引の客列車が来ました。山陰本線の綾部~福知山間のとある駅です。
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12月にしては気温だ高かったのか福知山機関区に訪れた時は、濃霧の覆われていました。
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福知山蒸気機関車はD51,C58,C57,C11の33両程保有していました。

霧の中、モンデフのD51を慎重にタ-ンティ-ブルに乗せています。
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給炭も終わり営業を待つD51
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スノ-フロ-の取り付け作業をしています。このC5785はボイラ-の先端が丸みが無いですね。
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ライトの調整でもしているのでしょうか。C5785
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モンデフをつけ背中には重油タンクをつけたC57も中々いけて、私は好きです。このC5711 は兵庫県豊岡市 豊岡市中央公園に保存されているそうですね。
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C58とC57が肩を並べて休んでいます。
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濃霧でまた違った機関区の雰囲気を体験しましたが、濃霧の写真が思うように撮れなかったのでしょうかカット数がとても少ないのです。

この後は霧に包まれた福知山機関区を後にして山陰本線で和田山支区を訪問しています。

次回は和田山支区を予定です。

では これで。

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(No65)中部・関西旅行その5(糸魚川機関区) [関西旅行1(昭和時代)]

直ったかなぁーと思っていた花粉症、やはり少し症状が出て来たようです。一歩外に出ると鼻はムズムズ、目はチカチカ、カユ-イです。明日はお出かけをしたいのですが、先が思いやられそうです。
さて、
今日は昨日の続きで、糸魚川機関区の訪問からです。時は相変わらず昭和40年12月20日です。
小雨降る糸魚川に着きました。時刻は16時になろうとしています。冬の日暮れは早い。辺りは薄暗くおまけに冷たい小雨も降ってきて最悪のコンデションとなりました。

糸魚川駅ホ-ムから糸魚川機関庫を撮っていると思います。今でも同じように見えるようですね。
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ここにもいるはずのD50を探しましたが既に1台も無くその代わりに庫にはD51が入っていました。やはり訪れる時期が遅かったようです。現在はディ-ゼル機関車がこの庫を使用いるようです。
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ちなみに昭和39年4月にはD50,C56,C12などか配置されていて計14両程でした。

大糸線のC12が冷たい小雨降る中にポツンと休んでいてなんだか寂しいものでした。
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それと大糸線にはC56も走っていましたね。
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糸魚川機関区に夕暮れが訪れ、雨も本格的に降りだしてきたようなので、とりあえず駅に戻ったようです。
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写真にタ-ンティブルの側に糸魚川駅方面に行くのでしょうか、跨線橋がありますね。それとタ-ンティブルは今でも有るみたいですね。
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このあとの予定では糸魚川21時11分発の列車に乗るはずだったのが17時50分に変更していました。変更した理由は何となく覚えているのが駅の待合室がとても寒かったようで、敦賀駅の待合室の方が暖かいかも知れないという事で早めの列車に変えたような気がします。
という事で糸魚川17時50分発の列車で敦賀に向かいました。敦賀に到着は21時08分で、今夜は敦賀の駅の待合室で1泊です。
まだ12月20日で、とても長い1日でした。若かったんですね、強引なスケジュ-ルを組んだものです。

12月20日の1日目は飯山機関区、直江津機関区、糸魚川機関区を巡りました。明日の2日目は福知山機関区、和田山支区、梅小路機関区を訪れています。しかしこれも強引ですね。

次回は昭和40年12月21日の霧の福知山機関区の画像をアップしたいと思います。

では これで。
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(No64)中部・関西旅行その4(直江津機関区) [関西旅行1(昭和時代)]

今日は久しぶりに2月16日のブログの中部・関西旅行その3「豊野~車窓~直江津②」の続きです。
時は昭和40年12月20日です。
直江津で特急「白鳥」を撮り、その足で直江津機関区へ訪れました。
庫に休憩しているC57132とD5171が点検を受けていました。
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直江津機関区には昭和39年4月にはD51,D50,C57,C12,9600を保有して計37両程でしたが昭和40年12月では8両あったD50が既に1台を残し全て一休車状態でした。D50がメインでしたので当てが外れてガッカリしました。
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大きな扇形機関庫(画像が小さくてスイマセン)とその対面にも対照的に小さな扇形機関庫がありました。
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D50は次の訪問する糸魚川機関区に期待をかけて、ここの見学を終えました。時間が無くてわずか30分程度の訪問だったと思います。

糸魚川に向かう列車の車窓から信越本線に別れを告げました。線路脇には架線柱が置いてあります。電化の準備が始まっていたのですね。彼方に妙高山が見えてます。
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直江津14時40分発に乗車して糸魚川には15時59分に着きます。
直江津~谷浜間に新線が出来きたので、郷津と言う駅が無くなったんですね。その駅名が偶然にも車窓から撮っていました。きっと厳冬の日本海に面した駅だったのが印象的で思わず撮ったのでしょう。
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糸魚川に行く途中とある駅で貨物列車と列車交換。何処の駅でしょうね。
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小雨降る糸魚川に着きました。もう薄暗いです。

次回は引き続き糸魚川機関区の画像をアップしたいと思います。

では これで。
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中部・関西旅行その3(古間~車窓~直江津②) [関西旅行1(昭和時代)]

まずは、以前「レンズ分解中」のお話で本日やっと直りました。ズ-ムで望遠と広角の∞の位置あわせの調整に苦労しました。明日でも小田急線にいってテスト撮りする予定です。

組み立て終わった愛用のレンズです。修理中ついでに回転部分などの接着剤状になってたグリスの除去し、ズ-ム、ピントの回転や絞り等の動きは以前よりスム-ズになりましたけど、写真で改めて見るとヘリコイドのゴムが使いすぎて汚いですね。やはりそろそろ替え時かなぁ-。

1日中レンズ調整していたもので昨日の続きの準備があまり出来ていなかったのでアップが大変遅くなりました。

さて、昨日の続きです。古間駅で上り線の普通列車との列車交換し直江津向けて出発です。

前方方向に黒姫山が見えてくるともうすぐ柏原駅に到着です。柏原駅の駅名は昭和43年10月1日に現在の黒姫駅に改称されました。
 

多分、柏原駅(現在黒姫駅)と思います。友人が興味深そうに連結作業を見学しています。

登り坂がこの辺りがサミットと思いますので、D51の補機は、回送をかねた重連運転だと思います。でも、重連は絵になるのでいいものです。                      
 
                                                               ここから直江津に向けてスイッチバックがありますね。私が乗ったときの記憶では関山駅と二本木駅の2駅はスイッチバックでした。ある本に依ると田口駅(現在妙高高原)もそうだったらしいのですが‥‥。



客車の窓から眺める雪の風景は旅情をいっそう高めますね。車窓からは妙高の山々が見えています。座席の背もたれには何とクッションがありません。このような座席で2時間以上も乗っているのですが当時は特に意識はしていなかったのが不思議です。
 
                       
そろそろ長野県から新潟県に入って行きます。

田口駅に到着。この駅名も昭和44年10月1日に妙高高原駅と改称されました。
当時はスイッチバックの駅だったのかなぁ-。全然記憶がありません。
近くにはスキ-場や温泉場が沢山ありますね。上り列車が来るようです。スキ-客が待っています。


次の駅は関山駅で、スイッチバックだったらしいのです。当時のA6ノ-トにスイッチバックの簡単な線路配置図が書いてありました。但、残念ながら写真は撮っていませんでした。

関山駅を出て、関山調整池と言う池を右に見ながら、現在も使用しているスイッチバックの二本木駅に向かいます。


二本木駅 スイッチバックの引き上げ線にある木造のスノーシェッド。今もあるのかなぁと思いインタ-ネットで調べるとありそうな感じですが、このままでしたらかなりの骨董品ですね。


多分二本木駅と思います。列車交換で貨物列車が待機していました。


上り線に急行「赤倉」でしょうか、新井駅に到着してきました。給水塔が見えます。蒸気機関車は水を満タンにして、ここから柏原までの長い登り坂に挑んだのでしょう。


脇野田駅では、門デフのD51501が引く貨物列車が待機していました。


そろそろ直江津が近くになって来ました。このあたりはどの辺でしょうか、信越線D51重連の旅が終わりに近づいてきました。


直江津には12月20日の13時36分に到着です。
上りの特急「白鳥」を撮る為に直江津の駅から少し歩いた所に関川に架かる鉄橋まで行きました。
その鉄橋から直江津方面を見ています。


昭和40年12月19日に上野22時58分夜行列車に乗って20日早朝豊野で下車、飯山機関区に立ち寄って再び信越本線に乗車してやっと直江津まで来ました。特急「白鳥」を撮ったあとは、直江津機関区を訪問し北陸本線に乗り換えて糸魚川駅に下車、糸魚川機関区を訪れています。

次回は直江津機関区と糸魚川機関区の画像をアップしたいと思います。

では これで。


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中部・関西旅行その2(豊野~車窓~直江津①) [関西旅行1(昭和時代)]

今日は2月3日のブログで「飯山駅から信越本線の豊野駅に戻って来た」その続きです。
書棚をガサガサと整理していたら当時のA6サイズのノ-トが出てきました。中身を見ると殆ど白紙状態でしたが一様旅行のコ-スと時間が記入してありました。
     上野発22時58分(337レ)→豊野着06時04分
飯山線 豊野発06時07分(225レ)→飯山着06時51分 飯山まで60円。
帰り    飯山発08時36分          →豊野着09時22分 豊野まで60円。
信越線 豊野発10時55分(323レ) →直江津着13時36分着 
                     ‥‥
                     ‥‥
まぁ、こんな感じで新宿到着まで書いてありましたが、フイルムと地図それと時刻表(39年10月号なので参考程度)を見ながら奮闘しています。地名や駅名が不明な点がいくつかありますのでもし違っていたらスイマセン
画像は信越本線豊野から直江津までの車窓の風景を2回に渡って出して行きたいと思います。
尚、
時代は昭和40年12月20日です。飯山駅からC12が引く列車に乗ってきて豊野駅には9時22分着きました。

豊野駅です。上りのD51373牽引貨物列車が到着。ホ-ムの荷物は何でしょうか結構ありますね、山のように積まれています。
 

そろそろ下り列車がきます。駅の待合室で待っていた地元の人がぞろぞろと出てきました。

10時55分発下りD51581が引く普通列車の到着です。当時メモによるとこの列車は323レと書いてありました。
地元の人達は行商人のおばさん達でした。


飯山線ともお別れ、信越本線は是から難所の牟礼、古間へと向かいます。


2㌔ほど走ると千曲川の支流、鳥居川の渓谷に沿って牟礼まで登っていきます。架線柱の工事が終わったばっかり見たいですね。
                         

牟礼駅ホ-ムの待合室。駅名板が懐かしいですね。中に蛍光灯が入っており、蛍光灯が点灯すると黒い文字を浮き出させます。
次はフルマ-、次はフルマ-と駅員さんが生の声で連呼していました。

まだまだ続く登り勾配。25%の勾配票を見つけました。右下に動物の足跡が、ウサギかなぁ。                       

蒸気と雪煙の中を保線の作業をしていますね。大変そうです。                       

再び山が迫ってきました。鳥居川に沿ってまた登っていきます。牟礼~古間のこの辺りは架線柱の工事は、まだ行なっていないようですね。この辺りの鉄道写真は結構有名な所だったと思います。


後方を振り向くとD51の煙とドレインで後ろが見えません。


やっと鳥居川の渓谷を登りきり、いつの間にか川が左側へ移っていました。複線工事でしょうか。違うかも。重機無しで行なっている様ですね。
中央に「戸草」と言う部落が見えています。その先に戸草トンネルがあり、そこをくぐると古間駅に到着です。2004年8月戸草トンネルも新しくなりこの部落の人々が旧戸草トンネル跡を生活道路として利用しているそうです。おかげで駅が近くになったそうな。
 

古間駅に到着です。ここで列車交換しました。ここから北5㌔ほどに野尻湖がありますね。
                             

直江津までまだまだ先ですが今回はここまでと致します

次回は古間~直江津までの画像をアップしたいと思います。

では これで。


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中部・関西旅行その1(飯山線雪の飯山駅にて) [関西旅行1(昭和時代)]

今日は一日中雪がチラチラ。あまり積もらなくてホッとしていますが、湿気の多い雪は積もったときの後がビチョビチョでいやです。
さて、今回は雪も少しだけ積もったので、雪つながりで昭和40年12月20日に友人と二人で訪問した雪の飯山線飯山駅の画像です。
飯山線のC56がお目当てで、飯山駅まで行き飯山機関区もに訪問する事にしました。
信越本線豊野駅からお目当てのC56が引くわずか客車2両編成の列車が予定どうり来て大喜び。
しかし、一つ心配だったのは足元です。普通の革靴を履いていましたので、豊野駅辺りでは雪は殆ど無く安心していました。ところが、列車が飯山近くになって来ると徐々に雪の量が増えて飯山駅に着いた時は、もう革靴では思うような行動が出来ない状態でした。甘くみていたと反省していたかも知れませんね。
飯山機関区はホ-ムの目の前だったので助かりましたが、予定していたC56の走行写真などはホ-ムでしか撮れませんでした。

                豊野6時07分十日町行きに乗車して飯山6時51分に到着。ご覧の通り除雪した後が、てんこ盛りです。機関車はC56131。デフとボイラの間にツララよけのネットがついてますね。

                飯山駅は思っていたよりも駅本屋が小さいかったと記憶しています。これはこれで、昭和時代の駅という感じでいいです。又、電話ボックスが懐かしいですね。

                駅前です。まだ早朝なので閑散としてますね。村営か旅館組合などで運営しているのか分かりませんけど送迎バスがスキ-客を迎えに来た様です。近くには飯山スキ-場があります。

                豊野駅から乗ってきた列車で飯山駅には10分停車です。腕木が下がっていますので、そろそろ発車でしょう。彼方にタ-ンティ-ブルとラッセルがありましたが革靴のため行けそうもないのであきらめました。

                          飯山駅始発7時00分長野行きには長野(管)の78647機が牽引していました。

                  飯山機関区を見学。C12が給炭場で給水しています。このC12は昭和39年は上諏訪(管)だったのですが40年に飯山機関区に配属されたようですね。

                  飯山機関区の木造の庫

                      庫の扉が閉まっていましたが職員さんのご好意で中に入れてくれました。

                   我々が乗る豊野行き4両編成の列車が来ました。タブレットを受けています。ここで釜の交換を行ない、C56と客車1両を切り離して側線に入りました。待機していたのは先ほど給水していたC12でした。

                   C56からC12に釜の交換し客車も4両から3両となりました。到着したのが8時12分で出発が8時36分、25分間の停車です。まぁ-のんびりしていたんで写真もゆっくりと撮れたと思います。
これで飯山とはお別れです。

                 替佐駅?8時55分発です。はっきりしませんが多分。ここで列車交換です。行商人のおばさんが飯山行きを待っています。
                 蒸気だといいなぁ-と思っていたんでしょうね。カメラを構えて待っていたら、両運転台の気動車が1両で来ました。
                                      豊野に戻って来ました。飯山であんなに雪があったのにここはご覧の通りです。もう革靴でも大丈夫。
架線柱が既に立っていますね。電化の工事が着々と行なっていたようです。

このあとは、豊野駅で10時55分発の普通長岡行きに乗って日本海側の直江津へ、そして直江津機関区に行っています。

このシリ-ズも東北旅行と平行して順次アップして行きたいと思います。

では これで。                

 

 



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