中部・関西旅行その2(豊野~車窓~直江津①) [関西旅行1(昭和時代)]
今日は2月3日のブログで「飯山駅から信越本線の豊野駅に戻って来た」その続きです。
書棚をガサガサと整理していたら当時のA6サイズのノ-トが出てきました。中身を見ると殆ど白紙状態でしたが一様旅行のコ-スと時間が記入してありました。
上野発22時58分(337レ)→豊野着06時04分
飯山線 豊野発06時07分(225レ)→飯山着06時51分 飯山まで60円。
帰り 飯山発08時36分 →豊野着09時22分 豊野まで60円。
信越線 豊野発10時55分(323レ) →直江津着13時36分着
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まぁ、こんな感じで新宿到着まで書いてありましたが、フイルムと地図それと時刻表(39年10月号なので参考程度)を見ながら奮闘しています。地名や駅名が不明な点がいくつかありますのでもし違っていたらスイマセン。
画像は信越本線豊野から直江津までの車窓の風景を2回に渡って出して行きたいと思います。
尚、
時代は昭和40年12月20日です。飯山駅からC12が引く列車に乗ってきて豊野駅には9時22分着きました。
豊野駅です。上りのD51373牽引貨物列車が到着。ホ-ムの荷物は何でしょうか結構ありますね、山のように積まれています。
そろそろ下り列車がきます。駅の待合室で待っていた地元の人がぞろぞろと出てきました。
10時55分発下りD51581が引く普通列車の到着です。当時メモによるとこの列車は323レと書いてありました。
地元の人達は行商人のおばさん達でした。
飯山線ともお別れ、信越本線は是から難所の牟礼、古間へと向かいます。
2㌔ほど走ると千曲川の支流、鳥居川の渓谷に沿って牟礼まで登っていきます。架線柱の工事が終わったばっかり見たいですね。
牟礼駅ホ-ムの待合室。駅名板が懐かしいですね。中に蛍光灯が入っており、蛍光灯が点灯すると黒い文字を浮き出させます。
次はフルマ-、次はフルマ-と駅員さんが生の声で連呼していました。
まだまだ続く登り勾配。25%の勾配票を見つけました。右下に動物の足跡が、ウサギかなぁ。
蒸気と雪煙の中を保線の作業をしていますね。大変そうです。
再び山が迫ってきました。鳥居川に沿ってまた登っていきます。牟礼~古間のこの辺りは架線柱の工事は、まだ行なっていないようですね。この辺りの鉄道写真は結構有名な所だったと思います。
後方を振り向くとD51の煙とドレインで後ろが見えません。
やっと鳥居川の渓谷を登りきり、いつの間にか川が左側へ移っていました。複線工事でしょうか。違うかも。重機無しで行なっている様ですね。
中央に「戸草」と言う部落が見えています。その先に戸草トンネルがあり、そこをくぐると古間駅に到着です。2004年8月戸草トンネルも新しくなりこの部落の人々が旧戸草トンネル跡を生活道路として利用しているそうです。おかげで駅が近くになったそうな。
古間駅に到着です。ここで列車交換しました。ここから北5㌔ほどに野尻湖がありますね。
直江津までまだまだ先ですが今回はここまでと致します
次回は古間~直江津までの画像をアップしたいと思います。
では これで。
こんにちは。はじめまして。
お写真楽しませて頂きました。私の中での信越本線(山線)のイメージは、幹線の名を冠したローカル線、古い特急型が今も走る旅情、といったところですが、お写真の時代には確かに幹線としての機能があったようですね。
乗客の多さ、駅の活気だけでなく、おそらく様々な線路の改良も続けられていたのではないかと思います。
今ではJRからも分離されてしまったのが寂しい限りです。
他の記事も楽しませて頂きます。
今後とも、宜しくお願い致します。
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by 風旅記 (2015-04-06 16:14)