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御殿場線スナップ(昭和時代) ブログトップ

(№789)昭和の御殿場線松田ホ-ムのスナップ [御殿場線スナップ(昭和時代)]

----2012年1月27日(金)[晴れ]----

今日は車を車検に出しました。出した場所はディラ-でなくて行きつけのガソリンスタンド。午前中の10時に持っていったら何と午後2時に車検が終わったとの連絡が来ました。
料金はディラ-の半額以下で済みました。
車は7万㌔程乗っていますが、まぁ今はあまり乗らないのでこれでいいしょう。今の所故障知らずな愛車です。
さて、
前回は御殿場線松田ホ-ムで371系を撮りましたが、今回はその松田駅ホ-ムの昭和時代、もう45年前頃に訪れた時の画像を少々。

此方は国府津方面ですね。左にまだ架線が貼られていない小田急線との連絡線が見えます。そして小田急の改札口側、当時は木造造りのこんな感じ。まだ第一生命ビルがまだ建っていないようですね。キハ17も懐かしい。
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通勤時にはD52が牽引する客車は7両編成も繋がっていました。よく見ると列車交換してます。小田急線側の改札口側に結構利用する乗客が多かった様ですね。しかし此方側だと列車に乗車するのに遠いので走っている方がいます。これは現在も同じですね。
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側線にはホキがいつも止まっていました。ホ-ムからは富士山も綺麗に見る事が出来ました。
松田ホッパ01.jpg

そのホキの裏側には、酒匂川の砂利でしようかホッパ-がありました。今でもその跡が見られます。
松田ホッパ03pic.jpg

跨線橋から山北方面を見てます。2両編成で来た小田急のキハ5000形、これは「長尾号」です。横にはD52貨物列車が待機しています。今も有る用水路も見えます。その下の3本ある線路、左にカ-ブしている線路は酒匂川に向かっていました。真中の線路の先には砂利のホッパ-がありました。
松田ホッパ02.jpg

写りが悪く出すいません、これがそのホッパ-で子供たちの遊び場にもなっていたようですね。今では保育園になっています。
松田ホッパ04B.JPG

御殿場線は時々訪れては写真を撮るよりもD52牽引の客列車に乗る事が楽しみでした。
松田から足柄まで録音もしました。聞いていると今は何処を走っているのかが目に浮かんできます。
思い出いっぱいの松田です。

では これで。


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(No458)御殿場線松田駅 [御殿場線スナップ(昭和時代)]

秋雨前線が停滞で長雨、それに加えてお仕事と台風の接近もあってお出かけも出来ずじまいです。なので今日は昔の写真を少しばかり。
昭和40年12月の御殿場線松田駅で撮った写真です。当時は駅本屋がある1番線に御殿場線の列車も使用していましたが、今は小田急線の「あさぎり号」しか使用していないようです。3番線にはキハが見えます。どうやら列車交換の様でした。旧国鉄時代はこんな雰囲気の駅が多かったですね。
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もう少し右側を見ます。貨物の横に懐かしい日通のボンネットトラックが停まっています。2番線にはC11が貨物の入れ替えが終わり休んでいました。
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1番線に国府津行きの気動車。2番線にはD52236の貨物列車。2番線は上下線共通だった様ですね。
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これは、国府津側を見ています。後方の山の中腹にある第一生命ビルがまだ工事中でした。ホ-ムの端に小田急線方面の改札口に行く連絡通路がありますが、当時は御殿場よりの前の方に跨線橋に近い所で停まったので小田急線から来ると随分歩かされた記憶があります。今はどちらかと言うと国府津よりの利用頻度の多い小田急線側に停りますね。
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次回は小田急線の新松田を予定しています。

では これで。






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(No127)御殿場線足柄~御殿場⑨最終回 [御殿場線スナップ(昭和時代)]

前回やっと足柄駅まで来ました。今回は御殿場まで行きます。
足柄駅を後にして、地図も用意していないで、この寒い雪まじりの中を御殿場線に
沿った道路を御殿場へと歩き始めました。

---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ最終回--

まずは私の友人から写真を提供して頂きました。(*印)
撮影は昭和38年4月4日です。
足柄駅から0.7㌔位歩いたところで小高い所に登って、そこで撮影した3カットです。

*上り国府津行きの気動車。彼方は足柄駅構内が何となく見えます。
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*保線のモ-タカ-。作業が終わったのでしょうか、古枕木が積んでいます。作業員も狭い所に
  12名ほど乗っていますね。
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*上り新宿行き小田急の「銀嶺」が下って来ました。学生さん達が歩いていますね。この方向には
学校があるのかしら。
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足柄駅から1.2㌔。鮎沢川を渡る鉄橋があります。上り国府津行き気動車を撮影。
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鮎沢川を左下に見ながら御殿場線は山里の中を登ってきます。雪まじりの雨で山裾は薄っすら
と白くなっていました。
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*下りD52牽引の客列車が力強く登って来ました。(提供)
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上画像と同じ場所です。国府津行きが下って行きました。右下の川は鮎沢川です。
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箱根越えもそろそろ終わり、御殿場高原に出ました。晴れていれば雪をかぶった富士山が見えた
のに。今日は冷たい雨が降っています。
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御殿場駅がもう直ぐです。D52牽引客列車が白い蒸気を吐きながら登って来ました。
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最後の登り坂です。彼方には構内の腕木式信号機と御殿場駅が見えます。現在、この小さな踏切辺りは
住宅地となっていますね。
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御殿場駅に着いたのが14時過ぎ頃と思います。寒さと疲れできっと早く駅待合室で休みたかったのでしょう
か、駅舎などは撮っていませんね。しかしよく歩いたものです。この日1日で駿河小山から御殿場までそれも
冷たい雪まじりの雨の中を約10㌔強です。
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帰りは小田急経由のキップを買っていたのに、何故か車内で東京電環に変更しています。多分御殿場発
14時59分で国府津到着15時56分そして東海道本線国府津発16時01分、東京着17時40分と連絡が良
かった事と小田急線よりも国鉄のクロスシ-ト車輌に乗りたかったのでしょうね。でも、まったく覚えていま
せんが‥‥。
021.jpg

前回でもお話していた様に電化前の御殿場線は御殿場から沼津方面は殆んど行かず、私の好きな場所
の山間部を走る山北~駿河小山間がテリトリ-でした。そして電化されてからは、しばらく訪れることもな
くなりましたが、最近ちょこちょこと出かけるようになり沿線の変動ぶりにはビックリしています。

という事で「---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ--」はお終いです。

では これで。







タグ:御殿場 足柄
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(No126)御殿場線駿河小山~足柄⑧ [御殿場線スナップ(昭和時代)]

前回は何とか駿河小山まで来ました。
当時の駿河小山駅で購入した硬券です。殆んど覚えていませんが11月に2回も行ったんですね。
東京からは遠いかったんでしょう、どちらも2日間有効ですね。
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今回は足柄まで行きます。
昭和39年2月 自宅を出るとき雨が降りそうな天候でしたが、そんなの関係ない様で行きたくて行
きたくてしょうがなかったんですね。若かったんですね。
そんな中、やはり駿河小山に着いたときは、雨になっていました。それがまた冷たい雨だった事を
思い出します。

---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ---

駿河小山から御殿場線に沿って砂利の幅5m程の道路を2㌔程歩いた辺りと思います。上りD52
牽引客列車を撮りました。
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更に1㌔程歩くと、鮎沢川を渡る鉄橋がありましたので、ここで上り「銀嶺」を撮影。
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その場所から駿河小山方面を見ました。「銀嶺」が下って行くのが見えます。未舗装の細い道路は
バスも走っていました。
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さらに200m程行くともう一つ鉄橋がありました。ここから腕木式信号機が見えましたので駅に近い
ことがわかり冷たい雨の中でホットした思い出があります。
上りD52牽引の貨物列車が通りました。
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意外と早く足柄駅に着きました。下り沼津行き気動車が到着です。
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丁度列車交換が見られました。
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駅前広場には金太郎が熊にまたがっている像が寒い雨の中お出迎えしてくれました。けど、駅前広場
は雨でグチャグチャです。
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ホ-ムを眺めました。今は懐かしい白い木製の駅名。構内には職員の詰め所もありました。駿河小山
より標高が高いのでしょうか、雪まじりの雨になりました。
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寒くてそして雨がみぞれになってきました。雨だったので先を急いだのでしょうか、意外と早く足柄駅に
着いたと思います。時間はまだ午前中と思います。最悪の気候になったのにもかかわらず時間があっ
たのでこのまま御殿場まで歩くことにしたようです。我ながらタフだったんですね。

電化前の御殿場線は御殿場から沼津方面は殆んど行っていなく、写真も殆んどありません。
高校時代では御殿場から先はかなり遠い感じがした事と、やはり山間部を走る山北~駿河小山辺りが
魅力的だったのでしょう。

という事で、御殿場まで歩いたスナップ写真は次回でお終いです。

では これで。







タグ:足柄
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(No124)御殿場線第三相沢川橋梁~駿河小山⑦ [御殿場線スナップ(昭和時代)]

前回は第三相沢川橋梁までしか到達できませんでした。
今回は予定の駿河小山までをアップします。

---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ---

第三相沢川橋梁を渡る気動車を小高い丘から撮影。見晴らしがいい場所なのでお昼はここで
自宅から持参したお弁当を食べました。当時は高校2年生でした。
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手前の築堤は旧線と橋げた跡。国道246号から撮影。
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第三相沢川橋梁を渡ると直ぐに箱根6号乙トンネルに入る上り国府津行き気動車。
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この第四相沢川橋辺りでもお茶の栽培(山北の足柄茶)を結構していましたが、現在はどうなん
でしょうか。
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第四相沢川橋を渡ると直ぐに第三相沢川橋梁を渡ります。上りのD52貨物列車が下って行きま
した。
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第四相沢川橋の反対側のを山の斜面に登り、下り国府津行き気動車を狙いました。
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写真中央の白塔は神奈川県と静岡県の県境です。鮎沢川を渡るコンクリ-トのア-チ橋は
国道246号です。
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御殿場線のメインの下りのD52牽引の客列車が25/1000の急勾配を登ってきました。
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そして最後の箱根7号トンネルに入ります。
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箱根7号トンネルから出てきた「朝霧」。当時は左の旧トンネルで駿河小山側に通り抜けが出
来ました。
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駿河小山駅です。どこかのお偉いさんがプリンスの高級車「グロリア」から降りてきました。
タクシ-もあり御殿場線の中でも結構大きな街です。
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立派な観光案内板もありました。
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工場専用の機関車でしょうか。エンジン丸出しで中々いい形していますね。台枠には
「KATOWORKS TOKYO」の文字が見えます。加藤製作所の小型内燃機関車かなぁ
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駿河小山駅ホ-ムに下りの国府津行きが到着しました。右の屋根は富士紡績工場と
思います。
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やっと何とか駿河小山まで来ました。御殿場までもう一息です。

次回は足柄駅まで行く予定です。

では これで。



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(No123)御殿場線谷峨~駿河小山⑥ [御殿場線スナップ(昭和時代)]

5月16日(金)
今日は小田急線の開成~栢山まで行って旧塗装LSEを撮りに行きました。今回は500mm反射
望遠レンズを持って行き電車を撮影しましたが、私の腕ではどうも使いこなせない。どうやら花や
鳥などを撮っていた方が無難なようです。500mmはもっと勉強しなければ駄目ですね。それに
このレンズは∞の位置が5mmほどヘリコイド戻さないと無限にピントが合いません。要調整する
予定でいます。

栢山駅を通過する急行新宿行きがこの程度撮れたので「ス-パはこね17号」も思い切って500mm
(デジタル換算800mm)望遠で撮ってみましたが、ピンがずれてしまいました。
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しかし、超望遠レンズで鉄道を撮るのは本当に難しいですね。

さて今回は御殿場線スナップの続きで、谷峨~駿河小山間のスナップを。

---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ---

谷峨駅を通過する「朝霧」。右のガ-ドレ-ルは駅に行く道路です。
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谷峨から一つ目の旧トンネルの上から撮りました。
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国道246号の清水橋。左のガ-ドレ-ルの横に旧線の旧トンネルがあります。
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その旧東海道本線の旧トンネルから駿河小山方面を見ました。鮎沢川の鉄橋跡と短いトンネル跡
そして左には御殿場線の築堤と2つ目のトンネルが見えます。
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その場所を上り国府津行きlD52牽引の客列車が通ります。
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同じ場所から国道246号の清水橋方面を見ます。後方に現在の丹沢湖に行く橋が見えます。当時は
丹沢湖はまだありません。
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谷峨から2つ目のトンネルを出た下り沼津行き気動車。
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近くには鮎沢川を渡るこんな吊り橋もありました。
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再び国道246号に戻ります。国道の下には半分程埋まった上り線の旧線がありました。旧トンネル
も半分まで埋まっています。
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D52牽引貨物列車が第三相沢川橋梁を渡ります。右の築堤は旧線跡です。
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当時御殿場線ではここ第三相沢川橋梁は撮影地で有名でした。私も御殿場線に訪れた時は時々
寄りました。

さて
今回はここまでです。予定の駿河小山まで到達できませんでした。スイマセン

次回に第三相沢川橋梁~駿河小山までアップする予定でいますが‥‥。

では これで。






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(No121)御殿場線山北~谷峨⑤ [御殿場線スナップ(昭和時代)]

2日間、小田急の旧塗装LSE撮影記でした。今日から再び御殿場線スナップの続きを、始めようと
思いますのでお付き合のほどよろしくお願いします。

---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ---

前回は山北までのスナップ写真でした。今回は山北~谷峨までのスナップ写真です。
箱根越えで栄えた山北駅を出るといよいよ御殿場線の難所に入っていきます。春になるとこの切り
通しは桜が線路を覆いかぶさる様に咲き乱れそれはとても綺麗ですね。

上り小田急5100形+5000形の「朝霧」が到着しました。当時はこんな場所も気楽に入れたのですね。
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後追いです。山北駅構内に入ります。
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山北13時09分発沼津行きの御殿場線随一山越えを昼間走ったD52の列車でした。
駅を出るとすぐに25/1000という急勾配となっているのでかなりの惰力をつけて登っていきます。
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D52牽引貨物列車が第一酒匂川橋梁を渡って山北へ下って行きました。
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旧箱根第二隧道の上に線守稲荷大明神というお稲荷さんがあります。今でも毎年4月頃には鉄道
関係者がこの稲荷に集まり、線守稲荷例祭を行なっているそうです。
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午前10時45分頃国府津行きのD52牽引の客列車が下って来ました。後方の橋は第3酒匂川橋梁です。
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後追いです。第2酒匂川橋を渡ります。複線跡なので広いですね.
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酒匂川の河原に下りて第2酒匂川橋梁と第3酒匂川橋が見ることが出来ました。この河原に今は
国道246号のバイパスが通っていますね。
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谷峨駅です。左に酒匂川で見晴らしが良かったのですが今は国道246のバイパスが通ってどう
なっているのでしょうか
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下り沼津行きの気動車が到着。実はこの気動車に乗ってきました。いい感じの谷峨駅本屋が見え
ますね。
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改札口近くにはテコがありました。
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下り沼津行きが出て行きました。駅長さんがタブレットを持って見送っています。後方の発電所辺
りに今は東名が超高いところを通っていますね。
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沼津行き気動車が出て行ったので次回は谷峨~駿河小山間のスナップを。

旧東海道本線線の跡も少しあります。

では これで。










タグ:山北 谷峨
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(No118) 御殿場線東山北~山北④ [御殿場線スナップ(昭和時代)]

前回で昭和37年9月に殿場線を初めて訪れた時のお話をしました。その話の続です。
松田から東山北まで歩きましたが東山北に到着して唖然としました。駅本屋が無く、無人駅
で、駅周辺には何も無く寂しい処でした。
当時無人駅というのは私にとっては初めてなので乗車券を購入するのがわならなくて、悩ん
だあげく再び松田に歩いて戻りました。
当時精神的にもかなり疲れた様で、とてもわびしくなった事を思い出します。
でも、良い事もありました。東山北に着いたら偶然に山北からD52が引く客列車が来ました。
これが初めてのD52のご対面でした。感激と驚き、これがきっかけで御殿場線を何回か訪
れる様になりました。

昭和37年9月東山北駅で、初めて見たD52牽引列車です。
009.jpg
松田方面の後追いです。まだまだ藁葺き屋根の農家が存在していた時代です。
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[ペン]
---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ---

さて今回はその東山北~山北までのスナップ写真です。
東山北駅に到着。ここから山北まで歩きます。左の碑は駅開設された時の顕彰碑。
東山北は昭和31年に開設されたんですね。
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ここから山北に向って左に大きくカ-ブします。下の国道は246号線です。
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小田急の準急「朝霧」が山北へ向って行きました。この辺りは住宅地となってここではもう
撮れる場所がなくなりました。
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東山北方面からD52の煙が見えます。雑草で覆いかぶった川の周辺はまだまだ農地が多
いですね。
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朝9時前に山北行きの客車8両編成があり、この編成は山北発の国府津行き16時50分頃
の列車となります。
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鉄マクラギの記念碑。獨国ザイセン会社1927年製だそうです。
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24㌔ポスト辺りのマクラギは鉄マクラギを使用していました。白っぽくなっている辺りがそうですが、
今はまだあるのでしょうかね。
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山北駅構内の全貌です。流石に元東海道本線だけあって広い構内ですね。
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山北にあった転写台、いつまで使っていたのでしょうかね。東海道本線時代には東と西に
2機の転車台があったそうです。ところで後ろの木造の建物は何だろう?
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積載重量計と言うのでしょうか。重量計がありました。
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ロッド付きの構内専用機関車が元気よく働いていました。
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山北発16時49分国府津行きがここの保留線に停まっていました。右側の小さな建物は
裏駅の改札口です。
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その改札口に張ってあった時刻表です。
114.jpg

御殿場線を訪れるとよく雨に遇います。この日も途中から雨になり一日中雨でした。
D52が雨の中入れ替え作業をしています。ホ-ムにある水飲み場つい最近まで有った
様な気がします。
119.jpg
 
という事で山北まで来ました。

次回は山北から谷峨までのスナップ写真を予定しています。

では これで。
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(No117)御殿場線松田③ [御殿場線スナップ(昭和時代)]

御殿場線はD52の箱根越えの魅力があったのでしょうね、松田から国府津方面は国府津、下曽我
付近の他には訪れていません。今となって一度ぐらい行っておくべきでした。

---昭和38~45年頃の御殿場線スナップ--
今回は松田駅からのスナップです。
御殿場線に訪れるのに小田急線で新松田で乗り換えるため、裏駅の改札口から入るので松田駅ホ-ム
からの写真がありますが、表駅の駅本屋や駅前の写真が全く撮っていないのです。これらも記録として撮
っておくべきでした。

これは小田急線側の松田駅改札口です。現在はすごく綺麗になりましたね。
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国府津からキハ17の気動車が到着です。ホ-ム端の建物は小田急線側にいく改札口通路です。
昔から遠いですね。
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朝の通勤時間帯です。D52牽引する7両編成の列車が到着です。小田急線乗り換え側改札口側に
ゾロゾロと結構降りて来ました。こちらからだと列車に乗車するのに遠いので走っている方がいますね。
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通勤時間帯が終わると通学時間帯となるようですね。列車交換ですが、国府津行きが1番線に停まっ
ています。よく分かりませんが、1番線と2番線使い分けていたのでしょうかね。
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松田に訪れると時折C11がお出迎えしてくれます。
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時々貨物の入れ替え作業している時も見られました。
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小田急の準急「芙蓉」が2両編成で乗り入れしてきました。
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準急「芙蓉」が1番線に到着。富士山も入れて撮りました。こんな場所から富士山が見られました。
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跨線橋から2両編成準急「長尾」を撮りました。後方の山すそ野にある第一生命ビルはまだ工事中。
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準急「長尾」が発車して行きました。D52は貨物を入れ替え中です。左側に富士山が見えています。
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御殿場線を初めて訪れたのは昭和37年9月でした。何となくぶらっと御殿場線てどんな所なんで
しょうと思って出かけたみたいで、それも午後からだった様です。

松田から東山北まで歩き帰りは列車に乗って戻ろうと思って歩きだしました。時刻表もなく、東山
北駅までの距離も不明でしたがまぁ1㌔程度だろうと思っていたのが3㌔近い距離でした。

という事で、次回は東山北~山北の予定です。

では これで。

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(No116) 御殿場線下曽我② [御殿場線スナップ(昭和時代)]

前回は国府津のスナップでした。
今回は下曽我近辺、新幹線と交差する場所です。


--昭和38~45年頃の御殿場線スナップ-- 
1964年(昭和38年)10月1日この日、東海道新幹線が開業しました。
その新幹線の一番列車「ひかり」を撮ろうとわざわざ御殿場線と交差する下曽我付近まで
何と東京から自転車にまたがり写真を撮りに行きました。
東京の自宅を夜中12時頃出て、下曽我に5時頃着いたのですが、徹夜で走ってきたので
朝方物凄い睡魔が襲ってきた記憶があります。

新幹線一番列車は東京6時00分発なので国府津通過は6時30分頃だったでしょうか、一番
列車0系12両編成の先頭に祝のヘッドマ-クか何かつくのかなあ-と思っていましたがスカで
した。
弁天山トンネルから出てきた新幹線開通一番列車「ひかり」ですけど‥‥。ウ-ン
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松田からC11が引く貨物列車。御殿場線でC11の走行を見たのはこれが初めてです。
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新幹線の下をくぐります。
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国府津からキハ51が来ました。ハエタタキが大きい事。
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通勤時間帯なのでしょうか、何と8両編成の国府津行きが来ました。
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御殿場線の列車と新幹線の列車と上手く交差するのを期待しましたが駄目でした。
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当時は農作業には牛を使っていたんですね。新幹線が走る中のんびりとした光景です。
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近くのミカン畑の山に登って見ました。足柄平野の展望です。新幹線と御殿場線が交差してい
ます(左下)。
彼方に富士山が見えますが、天候が良くないのでパッとしません。
088.jpg

ミカン畑からの写真を最後に、帰りの事も考えて午前中に引き上げたみたいです。
しかし、若い時ってタフで好奇心旺盛だったんですね。

次回は松田の予定です。

では これで。




タグ:下曽我
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(No115) 御殿場線国府津① [御殿場線スナップ(昭和時代)]

今日は夏みたいに暑かったですね。
窓を閉めていたので室温が30度越している暑い。でも窓を開けるといい風が入って気持ちがいい、
その上湿度も少ないのでまだすごし易いです。

プランタ-に花でも植えようと思いD2に行って品定め、結局花より団子で葉サンショウ、オオバ
そして金柑の苗を買ってしまいました。これからが楽しみ。
おまけ07.jpg

さて今回からは
--昭和38~45年頃の御殿場線スナップ--- 
国鉄時代の御殿場線を何度か訪れた時のスナップ写真を集めて見ました。
主な場所は国府津・下曽我・松田~御殿場までのスナップ写真ですので、画像がとても悪いのも
あります。それはそれで大目にみて下さいね。
4~5回位に分けてアップしますので御笑欄下さい。

まずは小田急線御殿場線直通開始25周年記念乗車券です。
小田急が乗り入れたのが昭和30年10月1日だったので、この記念乗車券を購入したのが昭和
55年ごろと思います。
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昭和39年の国府津駅前です。クラウン、セドリックのタクシ-が懐かしいです。
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国府津機関区
機関区の入り口(東海道本線の列車から撮影)。駅の反対側だったのでかなり歩いた覚えがあります。
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サンゴニッチというフランス人技師の設計の機関庫全景。3カットつないでいます。
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庫の中で休んでいるD5272。御殿場線で私が初めて見たのがこのD5272でした。
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給炭台設備。
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機関庫の片隅に焼却炉でしょうか。機関車のボイラ-に似ていますが。
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国府津にはもう一つの電気機関車の庫がありました。木造のすごい作りだったと記憶しています。
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こんな感じで画像をアップして行きたいと思います。

次回は新幹線と交差している下曽我付近の画像を予定しています。

では これで。

















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(No97) 御殿場線(松田の砂利採取線) [御殿場線スナップ(昭和時代)]

4月13日今日も寒い。まるで冬に戻ったみたい。もう暖房も使わないと思ったのにしっかりと焚きました。それにまだ花粉が充満しているらしく鼻がズルズルでクシャミの連発です。これももう少しの我慢ですが‥‥。

さて、今回は昭和41年12月28日九州旅行の帰りでついでによった御殿場線です。国府津機関区を見学してから松田に行きました。松田で下車した訳は小田急線で自宅に帰るのが便利だったのです。
松田から東山北方向100m位の所に砂利ポッパ-がありました。その手前本線から分岐して線路は酒匂川岸へと伸びていました。今でもその跡が残っているようです。
結構大きなホッパ-です。その下の引き込み線を生活道としておばさんが歩いています。その横を下り沼津行きキハ17の普通列車が何事も無いように通過していきました。
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奥から本線と分かれて砂利採取線が引かれています。左側が砂利積載場です。
004.jpg
反対側を振り向くと、民家の間を通っています。自動車が線路ギリギリに駐車しています。
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酒匂川岸に向かって線路は下っていきます。残念ながらこれ以上写真を撮っていません。今となっては惜しいことしました。
006.jpg
またホッパの場所に戻ってきて、富士山をバックにD5270牽引貨物列車を撮っています。
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貨物列車は砂利ホッパ-を右に見て松田に到着します。第一生命ビルがまだ工事中ですね。
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松田駅には「松田駅常備」と書かれたホキが常駐していました。
008.jpg

当時この砂利採取線はレ-ルがさびていました。もう使用していなかったかもしれませんがよく分かりません。もう少し探索しておけばよかったなぁと後悔しています。

[猫]
昭和45年11月東京駅にておまけ01.jpg


では これで。


タグ:砂利採取線
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(No17)自転車で御殿場線の山北へ行く [御殿場線スナップ(昭和時代)]

自転車で1966年(昭和41年)5月30日御殿場線の第一酒匂川橋梁まで友人と2人で行ったときの事です。今回は山北の写真です。
当時東京の世田谷区に住んでいました。ここから御殿場線の第一酒匂川橋梁までおよそ80㌔程。こんな遠い場所に自転車で行った理由は何だったんだろう、早朝のD52牽引客列車を狙うのか、現地の移動手段が便利じゃないか、それとも電車賃の節約なのかよく分かりません。
松田を朝を迎えられる様に自宅を真夜中出発し、国道246をひたすらペタルをこいで予定通り明け方に松田に到着。そして松田で国府津行きD52牽引客列車を撮影し、東山北、そして山北へと向かいました。

   東山北付近で

           1966年時の山北駅光景 ヤ-ド跡、給炭台らしきもの、日通の倉庫、崩れているホ-ム跡などが見えます。
   
                         もう使用していないタ-ンテイブルもありました。そうこうしている時に珍しい3両編成の「銀領号」御殿場行きが通過していきました。 

                               山北機関区跡の記念碑の上に乗っている石は何の意味なんでしょうか。今は山北鉄道公園にあると思いますがこの石は乗っていないようですね。

           山北駅を出発する普通気動車。6両とは結構長い編成です。

           そろそろ列車が来るのでしょうか、乗客がホ-ムで待っています。右の小さな水場はタイル張りで作られていました。この後、第一酒匂川橋梁まで足を伸ばしています。

            第一酒匂川橋梁から戻ってきて、山北のサクラで有名な場所で撮影。新宿行き「朝霧号」がやってきました。当時この場所におりられたのですね。

            撮影の最後はここから御殿場まで箱根越えをするD52牽引沼津行きの客列車を狙う。

                                    撮影も終わり、疲れたと言っている友人。これから東京まで自転車で帰ると思うと‥‥‥。若かったのですね。平気でこんな事やっちゃうのだから。

では 

   

   

       


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