東北旅行(野辺地~車窓~青森まで)⑧ [東北旅行1(昭和時代)]
何だかんだで5日に東北旅行(昭和時代)シリ-ズの続きが出来なくて1日空いてしまいすいません。
今日は一日ドン曇り。ずいぶん冷え込むなぁ-と思っていたら、ちらりと雪が舞い降りてきました。一度溶けていた大山の山々はもう既に雪化粧となっていました。
飯山、半原方面の山々とうっすらと見えるのは宮ヶ瀬辺りでしょうか大分積もっているようですね。手前は相模原麻溝公園のグリ-ンタワ-(エレベ-タで行ける無料の展望台です)と黒っぽい屋根は相模原総合体育館です。
さて、4日の続きで、時は昭和40年8月12日です。
一関から夜行列車で野辺地まで来ました。終着駅青森まであと8駅で1時間ほどです。
野辺地を7時01分出発して狩場沢、そして清水川駅に到着。
出発は7時19分。上りC6014と後方補機2両の三台運転が到着してきました。
清水沢駅 後方重連。2台ともC61でしょうか。はっきり分かりません。
車窓には通称ハエタタキという電柱が印象的でした。幹線の沿線は特に大きなハエタタキでしたね。
西平内駅は7時34分発です。C6022が来ました。おや、珍しい煙室前面の先端が丸くなっていない釜がきました。
この駅には乗客がいないようなので通過かも知れません。
浅虫には7時44分発です。当時は、青森湾に望んだ温泉地で東北の熱海とも呼ばれていたそうです。
もう、野内まで来ました。出発は7時53分。残りの駅は浪打と浦町そして終着駅の青森です。
上りDD5118が引く普通列車と列車交換。 (これは現像ムラです↑怪しい影ではありません)
野内駅から青森間は線路変更のため、浪打駅と浦町駅が無くなり新しく東青森駅が開設されました。当時はまだ隣の駅が浪打となっていました。今は野内、矢田前、小柳、東青森となっていますね。
やっと、終着駅青森8時13分に到着しました。一ノ関が23時01分発車して9時間と12分です。距離にして294.1㌔。まぁ、貧乏学生には便利な夜行列車が数多く走っていたのでうまく利用していました。
で、こんな感じの車窓風景を見ながら3度目の夜行列車でした。
C611とも分かれて、目的地の青森機関区へ訪問。これがまた結構遠いんですよ本当に。
続きは青森機関区の画像を。整理が出来たらアップする予定にしています。
では これで
古い日記にコメントすいません。
相模原の風景と43年前の野辺地駅~
私、野辺地育ちで現在相模原(麻溝公園近く)に住む
1965年(昭和40年)生まれの者です。
なんか、感動しています。
ありがとうございます。
by tonko (2009-04-09 12:46)