(No158)北海道旅行① [北海道旅行夏編(昭和時代)]
今日は朝から冷たい雨です。もう夕方なのにまだ降り続いています。特にやる事も無いので
2006年に撮った箱根登山鉄道湯本~強羅間、往復180分の車窓からの紫陽花ビデオを見て
いました。久しぶりに見ると中々上手く撮ってるわいと自己満足に浸っていました。
さて
今回から昭1966年、和41年8月、夏休みを利用して友人と2人で1週間ほど北海道旅行した
時のお話です。まだ青函連絡船があった時代です。
北海道でのコ-スは1日目は黒松内、寿都鉄道、2日目は雄別鉄道、3日目は美唄、4日目は
追分、真谷地炭鉱の予定で出発いたしました。
---北海道第1日目1966年8月5日---
北海道に渡る前に磐越東線、釜石線、花輪線を訪れてから津軽海峡を渡り初めての北海道
を訪れました。
大きな夜行青函連絡船(何丸だったんだろう)でゆられしばし本土との別れです。函館に着い
たのが6時10分。ここから6時15分発の小樽経由旭川行列車に接続です。牽引はD51だった
と思います。
早朝列車なので行商人のおばさん達がワンサカ乗っており、すでに朝食中でおかずのやりとり
等でたいそうにぎやかな車内でした。そんな中で東京から来た若い我々はどうやり過ごしていた
のでしょうかね。
列車が発車すると私は直ぐに死んだように熟睡していたらしい、ネガを見ると最初のコマがすでに
函館本線の八雲駅でした。そこでD51333貨物列車を撮っていました。
長万部を過ぎるともう直ぐ目的の寿都鉄道の8100ボ-ルドウィンが居る黒松内です。黒松内駅に
着くと寿都鉄道のダイヤ情報を友人が駅員さんに聞いていました。どうやら2本が運休との事でした
が1本が動いているとの事でした。
もう一つの目的は下りと上りのC62の重連「ていね」です。
まずは上りを狙うために撮影場所を捜して、「ていね」を待ちました。大分遅れていたようで、待った
あげくD51+C62で来ました。当然我々はそれはそれはガッカリしました。
次の寿都鉄道の8100を期待して、しばらく黒松内近辺で列車を撮って時間を潰すことにしました。
なんと、たった3両の客車を牽引するC623が来ました。これは贅沢な編成。
上りD51牽引客列車。
上りD51なめくじ形の貨物列車がゆっくりと来ました。この貨物が通り過ぎたあと、黒松内駅方面を見た
ら煙が立ち上がっているのが見えたので急いで駅に戻りました。
予定より早く到着したらしく、友人もあせって飛んで来ました。私も走って走ってゼイゼイしながら着
きました。既に8100列車はホ-ムに進入中でした。
まさか生きているとは思ってもいなかったので感激でした。
10分間の停車です。その間に8100は旧国鉄線構内に入り貨物の入れ替え作業を行なっていました。
シリンダ-ブロックがデコボコで、痛々しいですね。生まれは1897 年大分ご老体でしたね。
片ボギー車のハ6。元は北九州鉄道のガソリンカー。また東武矢板線の蒸機時代にもいたようです。
夕方4時半下り「ていね」が来る時間、上りの時はD51+C62だったので今度はと期待していたんで
すが、またもやD51+C62でした。
ただ本務機がC622ではじめて見た輝くツバメマ-クが通り過ぎて行くのが印象的でした。
一通り今日の目的も終わり明日は釧路まで行き雄別鉄道の訪問です。
黒松内から小樽へ。小樽21時05分発釧路行き夜行列車に乗車。我々はしばらくすると直ぐに眠
ってしまいました。
次回は雄別鉄道の予定です。
では これで。
2006年に撮った箱根登山鉄道湯本~強羅間、往復180分の車窓からの紫陽花ビデオを見て
いました。久しぶりに見ると中々上手く撮ってるわいと自己満足に浸っていました。
さて
今回から昭1966年、和41年8月、夏休みを利用して友人と2人で1週間ほど北海道旅行した
時のお話です。まだ青函連絡船があった時代です。
北海道でのコ-スは1日目は黒松内、寿都鉄道、2日目は雄別鉄道、3日目は美唄、4日目は
追分、真谷地炭鉱の予定で出発いたしました。
---北海道第1日目1966年8月5日---
北海道に渡る前に磐越東線、釜石線、花輪線を訪れてから津軽海峡を渡り初めての北海道
を訪れました。
大きな夜行青函連絡船(何丸だったんだろう)でゆられしばし本土との別れです。函館に着い
たのが6時10分。ここから6時15分発の小樽経由旭川行列車に接続です。牽引はD51だった
と思います。
早朝列車なので行商人のおばさん達がワンサカ乗っており、すでに朝食中でおかずのやりとり
等でたいそうにぎやかな車内でした。そんな中で東京から来た若い我々はどうやり過ごしていた
のでしょうかね。
列車が発車すると私は直ぐに死んだように熟睡していたらしい、ネガを見ると最初のコマがすでに
函館本線の八雲駅でした。そこでD51333貨物列車を撮っていました。
長万部を過ぎるともう直ぐ目的の寿都鉄道の8100ボ-ルドウィンが居る黒松内です。黒松内駅に
着くと寿都鉄道のダイヤ情報を友人が駅員さんに聞いていました。どうやら2本が運休との事でした
が1本が動いているとの事でした。
もう一つの目的は下りと上りのC62の重連「ていね」です。
まずは上りを狙うために撮影場所を捜して、「ていね」を待ちました。大分遅れていたようで、待った
あげくD51+C62で来ました。当然我々はそれはそれはガッカリしました。
次の寿都鉄道の8100を期待して、しばらく黒松内近辺で列車を撮って時間を潰すことにしました。
なんと、たった3両の客車を牽引するC623が来ました。これは贅沢な編成。
上りD51牽引客列車。
上りD51なめくじ形の貨物列車がゆっくりと来ました。この貨物が通り過ぎたあと、黒松内駅方面を見た
ら煙が立ち上がっているのが見えたので急いで駅に戻りました。
予定より早く到着したらしく、友人もあせって飛んで来ました。私も走って走ってゼイゼイしながら着
きました。既に8100列車はホ-ムに進入中でした。
まさか生きているとは思ってもいなかったので感激でした。
10分間の停車です。その間に8100は旧国鉄線構内に入り貨物の入れ替え作業を行なっていました。
シリンダ-ブロックがデコボコで、痛々しいですね。生まれは1897 年大分ご老体でしたね。
片ボギー車のハ6。元は北九州鉄道のガソリンカー。また東武矢板線の蒸機時代にもいたようです。
夕方4時半下り「ていね」が来る時間、上りの時はD51+C62だったので今度はと期待していたんで
すが、またもやD51+C62でした。
ただ本務機がC622ではじめて見た輝くツバメマ-クが通り過ぎて行くのが印象的でした。
一通り今日の目的も終わり明日は釧路まで行き雄別鉄道の訪問です。
黒松内から小樽へ。小樽21時05分発釧路行き夜行列車に乗車。我々はしばらくすると直ぐに眠
ってしまいました。
次回は雄別鉄道の予定です。
では これで。
コメント 0