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(No303)浜川崎のC11 [昭和時代2]

昨日から雨で何処にもいかず、家でダラダラしていたら体が鈍ってきましたので、明日は朝早く起きて青梅線
に行く予定です。久しぶりの撮影なので今から楽しみにしています。
さて、
今回は浜川崎のC11を撮りに行った時のお話です。

---1966年3月20日---
新鶴見機関区の見学も終わり、その後時間もまだ早いので浜川崎のC11を見てから帰ろうと言うことになり
浜川崎機関区に直行しました。この京浜工場地帯に走る鉄道網は当時全く分からないので、鉄友にくっ付い
て行動していました。今でもよく分かりませんが‥‥。
浜川崎機関区にはC11とC12を管理していましたが、しかしC12はいなかった様です。当時の保有機関車は
17両程いた様です。
庫の全景。タ-ンテイブルは無かった様な気がします。
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珍しい形式入りのナンバ-プレ-トのC11106。
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庫の中には4台ほど休んでいました。
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給炭しているC11。給水塔はこの奥にありました。指を出している少年は我々の鉄友です。
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機関区の目の前には鶴見線が走っていますが、通称浜川崎線とも呼ばれているようです。
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ホッパ車を引いて来たC11。
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入れ替え作業でがんばるC11。
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突然第一セメントの4100がホッパ車を押してきました。慌てて撮った記憶があります。すでにDD13と
思いますがディ-ゼル機関車もすでに導入されていました。
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工場には専用の小型のタンクロコが忙しなく動いていましたが、もう大部分廃車になっていました。
新鶴見操車場と新鶴見機関区そして浜川崎機関区の見学でしたが、鶴見線のクモハ12も撮っておけば
と悔やんでいます。

では これで。

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