(No315)小田急線柿生 [小田急2]
ネタ切れという事で、今日は昭和38年頃の小田急線柿生に行った時の画像です。
しかし
わずか4カットしか撮っていないのです。いったい柿生に何しに行ったのかよく分かりません。きっと単なる思い
つきで行った様な気がします。
柿生を出発する新宿行き1900形。当時柿生の駅は急行待ちの退避線がありましたね。まだ新百合ヶ丘が無
かった時代です。
柿生から百合丘方面に500m程行った辺りと思います。多摩丘陵が続きまだまだこの辺りは水田等の農地
地帯でした。今では住宅やマンションが建ち並び以前の面影が薄くなりました。
1400形が吊り掛け音軽やかに柿生の里を走ります。
時々電気機関車が牽引する砂利貨物がのんびりと走っていました。これはデッキ付のデキ1040形ですね。
当時最新型の4両編成2400形急行箱根湯本行きが来ました。ここで柿生の写真が終わっていました。当時
砧に住んでいて最寄の駅は祖師谷大蔵です。今考えるとそんな遠くでもないのに柿生が偉く遠くに来たと思
ったのでしょう、それに思いつきで来たからすぐに帰ったのかもしれませんね。
この時代にはすでに百合ヶ丘駅はありましたが、この百合ヶ丘駅が無かった時は西生田駅(現よみうりラント前)
からここ柿生までの区間が偉く長かった覚えがあります。当時は小田急もこの区間から向ヶ丘遊園間の上り線
で時々検札を行なっていました。
では今日はこんなところで。
しかし
わずか4カットしか撮っていないのです。いったい柿生に何しに行ったのかよく分かりません。きっと単なる思い
つきで行った様な気がします。
柿生を出発する新宿行き1900形。当時柿生の駅は急行待ちの退避線がありましたね。まだ新百合ヶ丘が無
かった時代です。
柿生から百合丘方面に500m程行った辺りと思います。多摩丘陵が続きまだまだこの辺りは水田等の農地
地帯でした。今では住宅やマンションが建ち並び以前の面影が薄くなりました。
1400形が吊り掛け音軽やかに柿生の里を走ります。
時々電気機関車が牽引する砂利貨物がのんびりと走っていました。これはデッキ付のデキ1040形ですね。
当時最新型の4両編成2400形急行箱根湯本行きが来ました。ここで柿生の写真が終わっていました。当時
砧に住んでいて最寄の駅は祖師谷大蔵です。今考えるとそんな遠くでもないのに柿生が偉く遠くに来たと思
ったのでしょう、それに思いつきで来たからすぐに帰ったのかもしれませんね。
この時代にはすでに百合ヶ丘駅はありましたが、この百合ヶ丘駅が無かった時は西生田駅(現よみうりラント前)
からここ柿生までの区間が偉く長かった覚えがあります。当時は小田急もこの区間から向ヶ丘遊園間の上り線
で時々検札を行なっていました。
では今日はこんなところで。
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