(No402)篠ノ井線姨捨駅今昔 [鉄道2]
早いものでもう7月です。海、山開きですがあいにくの天気でパッとしません。きっとカ-ッとした真夏を待っていることでしょう。それよりもそろそろ梅雨も早く終わりにしてもらいたいです。
さて、
お出かけもしていないもので今日は篠ノ井線の今昔写真を少しばかり笑覧してください。
撮影は2007年9月と1968年12月です。大体同じ様な所で撮っている写真を選びました。
ここはスイッチバックの行き止まりから撮っています。保線詰所跡が草むらとなっていました。
この日は昨日の雨が雪に変わりました。後方にD51が付いて2台運転しています。跨線橋がまだ無いですね。
今度は反対側から駅舎側を見ます。駅舎を含めて全体の感じとして思ったより変わっていませんでした。
しかし当時はこの道路が舗装されていないので、雨が降ると靴が泥でぐちゃぐちゃになりました。
今はこの勾配を強力EH200が軽々と登ってきます。当時はD51でしたが、かなり苦しそうに登って来ました。
信号所は無くなってしまいましたが、線路配置は変わっていないようですね。昔は旅館だった建物が今は普通の住宅になっていました。
信号所の左側の建物が「青木屋」という旅館でした。1日この旅館でご厄介になりました。お風呂が改装中との事で宿泊料金を2食付で800円から700円と100円も安くしてくれました。当時としては大金です。
丁度上下線の普通電車が来ました。列車本数が少ない上下線のスイッチバックシ-ンが見られたのはラッキ-でした。
39年ぶりに訪れた姨捨は蒸気機関車時代の迫力も無くなり駅も無人で寂しくなりましたが、ホ-ムから見える長野盆地に広がる善光寺平の展望は相変わらず素晴らしいものですね。
今回はこんなところでお仕舞いです。 では これで。
さて、
お出かけもしていないもので今日は篠ノ井線の今昔写真を少しばかり笑覧してください。
撮影は2007年9月と1968年12月です。大体同じ様な所で撮っている写真を選びました。
ここはスイッチバックの行き止まりから撮っています。保線詰所跡が草むらとなっていました。
この日は昨日の雨が雪に変わりました。後方にD51が付いて2台運転しています。跨線橋がまだ無いですね。
今度は反対側から駅舎側を見ます。駅舎を含めて全体の感じとして思ったより変わっていませんでした。
しかし当時はこの道路が舗装されていないので、雨が降ると靴が泥でぐちゃぐちゃになりました。
今はこの勾配を強力EH200が軽々と登ってきます。当時はD51でしたが、かなり苦しそうに登って来ました。
信号所は無くなってしまいましたが、線路配置は変わっていないようですね。昔は旅館だった建物が今は普通の住宅になっていました。
信号所の左側の建物が「青木屋」という旅館でした。1日この旅館でご厄介になりました。お風呂が改装中との事で宿泊料金を2食付で800円から700円と100円も安くしてくれました。当時としては大金です。
丁度上下線の普通電車が来ました。列車本数が少ない上下線のスイッチバックシ-ンが見られたのはラッキ-でした。
39年ぶりに訪れた姨捨は蒸気機関車時代の迫力も無くなり駅も無人で寂しくなりましたが、ホ-ムから見える長野盆地に広がる善光寺平の展望は相変わらず素晴らしいものですね。
今回はこんなところでお仕舞いです。 では これで。
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