(№593)米原機関区 [昭和時代3]
前回は北陸本線米原~田村間のお話でした。今回はその北陸本線などの機関車を所有している米原機関区に行った写真です。
米原からわずか2駅、田村駅の手前に交直接続のジャンクションの為に客車や貨物列車はD50と試作機交直両用ED30等が牽引していました。一部の列車はD51が直通運転していたようです。
機関区に訪れたのは、前回と同じ昭和41年12月です。機関区には北陸本線田村に行く前に寄りました。
米原駅の北陸本線ホ-ムから撮りました。入れ替えて来たD50300がドレイン噴き上げて来ました。
当時はよく側線にポツンと機関車が停まっていたのを思い出します。
さて、米原機関区に行きます。しかし扇形庫の半分はもう詰所になっていました。
庫の中には先ほど側線で停まっていたD50200がすでに庫で休んでいました。隣の釜D50201はもう一休車になっていました。
機関庫から少し離れた給石炭台脇に試作機交直両用電機ED30が停まっていました。出番を待っているようです。
凸形にしては個性な屋根が印象的でした。
タ-ンテイブルで方向を変えてピットに向かうD50131。
すでに電化されているこの区間にまだ蒸気機関車が走っているなんて交直両用電機機関車の製造が間に合わなかったのでしょうね。まだまだ蒸気機関車が元気な時代でした。
では これで。
米原からわずか2駅、田村駅の手前に交直接続のジャンクションの為に客車や貨物列車はD50と試作機交直両用ED30等が牽引していました。一部の列車はD51が直通運転していたようです。
機関区に訪れたのは、前回と同じ昭和41年12月です。機関区には北陸本線田村に行く前に寄りました。
米原駅の北陸本線ホ-ムから撮りました。入れ替えて来たD50300がドレイン噴き上げて来ました。
当時はよく側線にポツンと機関車が停まっていたのを思い出します。
さて、米原機関区に行きます。しかし扇形庫の半分はもう詰所になっていました。
庫の中には先ほど側線で停まっていたD50200がすでに庫で休んでいました。隣の釜D50201はもう一休車になっていました。
機関庫から少し離れた給石炭台脇に試作機交直両用電機ED30が停まっていました。出番を待っているようです。
凸形にしては個性な屋根が印象的でした。
タ-ンテイブルで方向を変えてピットに向かうD50131。
すでに電化されているこの区間にまだ蒸気機関車が走っているなんて交直両用電機機関車の製造が間に合わなかったのでしょうね。まだまだ蒸気機関車が元気な時代でした。
では これで。
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