(№1036)磐越西線旧中山宿駅の思い出 [昭和時代3]
---2015年11月5日(木)晴れ----
最近、近場などの撮り鉄をしていないなぁと思っていながら、若き頃に行った鉄旅のネガを見ては懐かしんでいる昨今です。
と言う事で昭和40年、1965年8月に訪れた今は無き磐越西線のスイッチバックの旧中山宿駅の画像をもう一度画像を増やしてアップしました。
昭和40年8月13日、前の日12日は青森機関区を見学して青森駅から奥羽本線で夜行列車「津軽」に乗車して早朝にここ郡山駅に到着しました。時間は5時半頃だったと思います。
そして郡山駅で1時間半ほど待ってこのD60が牽引する列車に乗車。
途中の磐梯熱海駅で列車交換。何と重連で来ました。D50と後ろはD51の様ですね。
ここの駅名は昭和40年5月末までは「岩代熱海駅」でしたが同年6月1日に「磐梯熱海駅」に改称されたのですね。私が訪れたのが8月なにで改称されたすぐ後だったのですね。
中山宿駅には7時頃に到着したと思われます。
天候があまりよくなく時折小雨が降り一日中どんよりとした天気でした。
駅前には商店が無いという当時鉄道誌の撮影地ガイド情報で確認しておいたので、弁当などを郡山駅で調達しておきました。そうでないと一日食事なし、また当然飲料水の自動販売機もありません。
さて、乗車してきた列車の発車です。
スイッチバックなので一旦バックで引込み線に入ります。
そして本線に入り勢いをつけて会津若松方面に走っていきました。
上りの列車が来ました。これは多分急行「第一ばんだい」が通過してゆきます。機関車の左側に授器がありますがこれは下り線の通過列車用ですね。
タブレットを持った機関助士が投げ込む体制で構えています。私の後ろには受器が有ります。
機関車の速度は40㌔程のスピ-ドでタブレットを投げ込みます。考えてみるとすごい場所で撮影していたのですね。
このあと50m程の先にはすでにセットされている授器でタブレットをとります。
下り列車がホ-ムに入ってきました。
下り線のタブレットの受器と授器はホ-ムの郡山側に有りました。後方に授器も見えます。
タブレットを投げ込み後方の授器にセットしているタブレットをとります。
準急「あがの1号」が列車交換のため運転停車で到着しました。
そして上り急行「あいづ」が通過していきます。「あがの1号」の売り子さんたちがホ-ムに降りています。
そして、しばらくすると駅員さんが急行「あいづ」から受け取ったタブレットを肩にかけて自転車に乗って来ました。
結構乗客が乗っていますね。鉄道撮影をしているのが物珍しいのか乗客らが此方を見ています。
自転車に乗ってきた駅員さんはこの「あがの1号」の運転士に渡していました。
本線の授器からは遠いので自転車を利用してタブレットの渡しているのんびりした光景です。
後の建物は駅舎ですが何故か正面から撮っていないのですね。
郡山から25‰の勾配を上って来て一休みしている乗務員が給水スポ-トの水で汗を流していました。
雨がやんだので鉄友が俯瞰できそうな山が有ると言うので行ってみようと言ったので、付いて行く事にしました。こんな小川にかかる丸太橋を渡り山道を歩く事30分程で線路が見えるところまで登ってきました。
登りの途中で磐梯熱海方面から貨物列車が上って来るのが見えました。
ここは丁度林を伐採したあとで足場も悪くなく見晴らしも抜群ですが‥‥。
そして反対側にくると中山宿駅が俯瞰できる場所に到着です。
当時きっと感激したと思いますが、生憎の天候で写りがよくありません。
若かったのでしょうね。地図も無く楽に登った気がします。今では到底まねの出来ない行動です。
山から駅に戻り、引き上げ線の近くにきました。
左側に引き上げ線が見えます。本線は25‰の勾配なので引き上げ線と高さのの差が分かります。
その引き上げ線にD50牽引客列車が入線しています。
そして勢いをつけて再び25‰の勾配に挑みます。
機関車はD50、D60、D51の蒸気機関車だけではなくDF50も入っていました。これは急行「ばんだい3号」と思います。授器にセットしているタブレットをキャッチしようとしています。
ここの信号所の職員方にこの中山宿の撮影が終った後、今夜の宿に沼尻温泉を紹介していただき当時大変にお世話になりました。
と言う事で楽しい思い出がいっぱいの中山宿の撮影でした。
では
最近、近場などの撮り鉄をしていないなぁと思っていながら、若き頃に行った鉄旅のネガを見ては懐かしんでいる昨今です。
と言う事で昭和40年、1965年8月に訪れた今は無き磐越西線のスイッチバックの旧中山宿駅の画像をもう一度画像を増やしてアップしました。
昭和40年8月13日、前の日12日は青森機関区を見学して青森駅から奥羽本線で夜行列車「津軽」に乗車して早朝にここ郡山駅に到着しました。時間は5時半頃だったと思います。
そして郡山駅で1時間半ほど待ってこのD60が牽引する列車に乗車。
途中の磐梯熱海駅で列車交換。何と重連で来ました。D50と後ろはD51の様ですね。
ここの駅名は昭和40年5月末までは「岩代熱海駅」でしたが同年6月1日に「磐梯熱海駅」に改称されたのですね。私が訪れたのが8月なにで改称されたすぐ後だったのですね。
中山宿駅には7時頃に到着したと思われます。
天候があまりよくなく時折小雨が降り一日中どんよりとした天気でした。
駅前には商店が無いという当時鉄道誌の撮影地ガイド情報で確認しておいたので、弁当などを郡山駅で調達しておきました。そうでないと一日食事なし、また当然飲料水の自動販売機もありません。
さて、乗車してきた列車の発車です。
スイッチバックなので一旦バックで引込み線に入ります。
そして本線に入り勢いをつけて会津若松方面に走っていきました。
上りの列車が来ました。これは多分急行「第一ばんだい」が通過してゆきます。機関車の左側に授器がありますがこれは下り線の通過列車用ですね。
タブレットを持った機関助士が投げ込む体制で構えています。私の後ろには受器が有ります。
機関車の速度は40㌔程のスピ-ドでタブレットを投げ込みます。考えてみるとすごい場所で撮影していたのですね。
このあと50m程の先にはすでにセットされている授器でタブレットをとります。
下り列車がホ-ムに入ってきました。
下り線のタブレットの受器と授器はホ-ムの郡山側に有りました。後方に授器も見えます。
タブレットを投げ込み後方の授器にセットしているタブレットをとります。
準急「あがの1号」が列車交換のため運転停車で到着しました。
そして上り急行「あいづ」が通過していきます。「あがの1号」の売り子さんたちがホ-ムに降りています。
そして、しばらくすると駅員さんが急行「あいづ」から受け取ったタブレットを肩にかけて自転車に乗って来ました。
結構乗客が乗っていますね。鉄道撮影をしているのが物珍しいのか乗客らが此方を見ています。
自転車に乗ってきた駅員さんはこの「あがの1号」の運転士に渡していました。
本線の授器からは遠いので自転車を利用してタブレットの渡しているのんびりした光景です。
後の建物は駅舎ですが何故か正面から撮っていないのですね。
郡山から25‰の勾配を上って来て一休みしている乗務員が給水スポ-トの水で汗を流していました。
雨がやんだので鉄友が俯瞰できそうな山が有ると言うので行ってみようと言ったので、付いて行く事にしました。こんな小川にかかる丸太橋を渡り山道を歩く事30分程で線路が見えるところまで登ってきました。
登りの途中で磐梯熱海方面から貨物列車が上って来るのが見えました。
ここは丁度林を伐採したあとで足場も悪くなく見晴らしも抜群ですが‥‥。
そして反対側にくると中山宿駅が俯瞰できる場所に到着です。
当時きっと感激したと思いますが、生憎の天候で写りがよくありません。
若かったのでしょうね。地図も無く楽に登った気がします。今では到底まねの出来ない行動です。
山から駅に戻り、引き上げ線の近くにきました。
左側に引き上げ線が見えます。本線は25‰の勾配なので引き上げ線と高さのの差が分かります。
その引き上げ線にD50牽引客列車が入線しています。
そして勢いをつけて再び25‰の勾配に挑みます。
機関車はD50、D60、D51の蒸気機関車だけではなくDF50も入っていました。これは急行「ばんだい3号」と思います。授器にセットしているタブレットをキャッチしようとしています。
ここの信号所の職員方にこの中山宿の撮影が終った後、今夜の宿に沼尻温泉を紹介していただき当時大変にお世話になりました。
と言う事で楽しい思い出がいっぱいの中山宿の撮影でした。
では
芝浦鉄親父さん
kobooさん
あおたけさん
熊太郎さん
フジトモさん
nice!ありがとうございました。
by シュウチャン (2015-11-09 00:29)
ぷっぷくさん
Ujiki.oOさん
燕っ子さん
ネオ・アッキーさん
ぼんぼちぼちぼちさん
nice!ありがとうございました。
by シュウチャン (2015-11-14 16:12)
ぼんさんさん
nice!ありがとうございました。
by シュウチャン (2015-11-21 00:29)